Mの病気が見つかったのは2年前の夏であった。悪性疾患であった。発見時はすでに広範囲に転移しており、手術的治療は不可能であった。抗癌剤や放射線の治療が提示されたが、彼はその選択に困り、自分のところに相談したいので会ってほしいと連絡してきた。話を聞くとかなり進行はしているものの、たまたま別の検査で偶然見つかったため、まったく症状はなく元気である。元気だからこそ自分の現在の病気の重さが実感として湧いてこない。だから「手術ができないくらい進んでいる」といわれてもピンとこないわけである。自分はoncologistではないので詳しいことはわからない。しかし抗癌剤治療をすすめた。それから彼の壮絶な闘病が始まったのである。これ以上詳しくは彼個人を同定できなくとも、個人情報のこともあり詳細は省きたい。彼は自分の行く末のこともそうであったがD-45のことをとても心配していた。まるで子供の将来を案ずるかのようであった。