それにしても「吉田さんにD-45あげますよ」という彼の最後の言葉は不思議であった。彼は私よりも高校時代からのフォーク仲間であるSさんに託したいとブログにかいている。自分は彼の人生の最後のほうのステージに少しだけ顔をだした、いわば「新人」である。そんな自分に彼が「分身」を託したいと本気で言ったとは到底思えない。おそらくもしかしたら最近、そのSさんとなにかトラブルでもあったのか、いやあるいは低酸素血症で十分な判断ができなかったため自分が病室を去る際にそう口走ったのかもしれない。そんなこんな想いをめぐらしながら彼のお通夜に行った。遺影は彼がギターを弾く姿であった。いい顔をしている。よく考えてみれば彼のことを友人と書いたが、その割には実際に会ったのは10回にも満たない。しかしネット時代なのであろう、常にネットやメールでやり取りをしていると実際は会わなくとも彼の人となりは理解できていた。おそらく中高時代にであっていたらもっと緊密な関係になっていたであろう。趣味・嗜好や方向性は似通っていた。