彼はちょうどその1ヵ月後に亡くなった。彼が分身であるD-45を私に託したいという気持ちは嬉しく思った。でもそれはまさに「重い」ものであった。あれは彼の想いや薀蓄が集約されたこの世で唯一無二のものである。果てしない「Martin D-45探しの旅」の末にようやくたどり着いた、彼の目にかなった逸品なのである。ところで私のプレイスタイルはOM系や000系のfinger styleであり、フラットピックでDreadnoughtをガシガシ弾くことは余りしない(分かる人には分かる専門的内容ではあるが)。したがって自分はD-45をすごいと畏怖するものの、あまりD-45を自分で保持し弾きこなしたいとは思わないのだ。しかもその上、あの彼のD-45を自分が引き受けても、きちんとした「次世代へ引き継ぐ管理人」に自分がなれるなんて到底思わない。「吉田さん、D-45あげますよ」といわれて、「自分には重すぎます」と言った言葉の裏には、めぐりめぐったこのような思考過程があって発せられたものなのである。