彼が知ったら激怒するようなとんでもない結末になった。姉上は「弟が不憫で・・・」といった。受け止め方は様々である。私は不憫とは思わない。極めて残念、無念としかいいようがない。彼も自身のことを人から「不憫」といわれることは望んでいないはずである。むしろ彼は自分が人からどう思われるかということよりも、望んでいたD-45の「行く末」が思い通りにいかなかったことを悔しがっているだろう。同感である。それにしても犯人は間違いなく内部の事情に詳しい者なので、彼のD-45に対する思いの丈を知っているはずである。通りすがりの物取りであればいざしらず状況を十分に知っていながらこのような愚挙がよくできたものだと憤りを感じる。このようなものは楽器という道具としての意味ばかりでなく調度品としての価値、骨董的価値、または文化遺産的な価値など様々な意味を持っている。自分個人的には道具以外の価値がつくことはその市場価値が不当に吊り上るので好ましいとは思わない。しかし残念ながら現実にはそれら「付帯的価値」のほうが現在ではかなり大きくなってしまっているのである。