それ以後、「Martin刷り込み世代」の多くが陥る、いわゆる「Martin探しの旅」が始まるのである。これはきっと安価モデルだから音が出ないんだと考え、じゃあD-45でもと考えたが、前述のようにあまり自分では思い入れがないため食思がわかない。そう思っていたら、その下のモデルでD-42というものがあった。高級モデルならば絶対にハズレはないと思いこれを買う予定でいた。しばらくしてネットオークションでこのD-42が比較的安価で出ていたので飛びついた。さて家に届いて早速弾いてみた。ところが高級モデルにもかかわらず音圧がない。音はきれいなのだが、か細くて針金が鳴っているようで物足りないのである。「はぁ~」と落胆のため息がでた。当時を知らない今の若い世代には「Martinの刷り込み」はない。だからMartinに固執しないで他の会社のギターに流れるだろう。しかし我々は「きっともっとMartinの中でいい音のものがあるはずだ」と考える。そして今の気に入らないものを売ってまた別のものを買い求めるという果てしない悪性サイクルに陥るのである。これがいわゆる「Martin探しの旅」である。まあ新興宗教のマインドコントロールが解けない状態と同じである。