名器ストラディバリが1600年代に作られて、調整、修理が重ねられ何人ものプレイヤーの手を経て現代でも生き続けている。数百年前の木材が立派に生き続けて鳴っているのである。そして人々はその音色に酔いしれているのである。名器とはそういうものである。歴史的にスチール弦のギターは1833年に作られ始めているので、ギターというものの寿命がどのくらいなのかは未知数である。まあバイオリンのような寿命はないのかもしれないが、それでも名器として生まれたものは、その管理方法しだいでは未来も名器でいられるはずである。だからその名器を代々引き継いだ「管理人」の思いというものが重要になってくるのである。おおげさではあるが彼の所有していたD-45もこれから何人ものプレイヤーの手を経て後世の人々を楽しませてくれるというpotentialを持っていた。しかし今回の残念な結末でそれもついえたのである。自分が今一番悲しく思うことは友人Mの最大の思い入れが闇に葬られたことである。とにかく残念であるとしか表現のしようがない。(この項終わり)
【後日談】
実はしばらくしてから、彼の新居に知らないうちにD-45が戻っていたそうである。たくさんあるギターケースのひとつにわからないよう忍ばせてあったそうである。どうも盗まれたのは姉上の勘違いということにするための犯人の行動らしいと姉上は言っておられた。戻ってきて、めでたしめでたし、というわけでもない。犯人は知らない間に出入りできる内部事情に詳しいものである。不気味である。「萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」」