5月29日のニュース。被害者学生の父からの発信であるが、加害者学生の減刑を求める嘆願書が出された。これには数万人の賛同が得られていると。このニュースを聞いてゾッとした。もちろん20歳の加害者学生が本名と顔をさらして記者会見に臨んだのであるから、その勇気と覚悟には脱帽する。すごいことである。
しかしである。それと彼のなした傷害の罪とは別問題である。日本は法治国家であるので法律に基づいて粛々と判断されるべきである。
嘆願書であるが、これは被害学生や被害を被ったその関連する組織など特定コミュニティ内での嘆願書であれば話は分かる。しかし不特定多数の無関係な市民の心情に訴えてこの嘆願書に賛同させるのは、これもまた思想誘導にもとれるのである。
なんだかこのまま多くの無関係な市民の心情が動かされて国民感情にまで膨れ上がるとしたら、それは怖いことで、それがもし減刑の一助になったとしたら法治国家としての面目はない。
もしかしたら「あいつを赦せ、(あるいはその逆の)処罰しろ」との民衆感情が生殺与奪の権限をもつ人民裁判のようになったら怖い。最近のSNS社会は拡散速度が速く、流行的に一つの流れができてしまうと、その流れと逆の意見は叩かれる(炎上する)。ある意味、怖い世の中である。
もちろん加害学生の潔さには敬意を表するし同情もする。でもそれとこれとでは話が少し違う気がするのだ。
しかしである。それと彼のなした傷害の罪とは別問題である。日本は法治国家であるので法律に基づいて粛々と判断されるべきである。
嘆願書であるが、これは被害学生や被害を被ったその関連する組織など特定コミュニティ内での嘆願書であれば話は分かる。しかし不特定多数の無関係な市民の心情に訴えてこの嘆願書に賛同させるのは、これもまた思想誘導にもとれるのである。
なんだかこのまま多くの無関係な市民の心情が動かされて国民感情にまで膨れ上がるとしたら、それは怖いことで、それがもし減刑の一助になったとしたら法治国家としての面目はない。
もしかしたら「あいつを赦せ、(あるいはその逆の)処罰しろ」との民衆感情が生殺与奪の権限をもつ人民裁判のようになったら怖い。最近のSNS社会は拡散速度が速く、流行的に一つの流れができてしまうと、その流れと逆の意見は叩かれる(炎上する)。ある意味、怖い世の中である。
もちろん加害学生の潔さには敬意を表するし同情もする。でもそれとこれとでは話が少し違う気がするのだ。