違和感がある。認知症の方の徘徊を「差別用語」とみたのである。
認知症の方の徘徊は確かに「自分なりの理由」があるのである。しかし理由といっても通常の社会生活の中では破たんした理由であり、同じ環境内で共存するには周囲の人からは看過できない行動なのである。
よって健常人の「外出中に道に迷う」こととは「区別」する必要があり、これは差別にはならない。
近年ではどんな場合でも声高に人権、人権ということで全員を健常人と同じカテゴリーにしようと思っているのかもしれない。でも逆に認知症の方の人権を守るにはある意味周囲から分かるような「区分け」をして地域社会で声掛けなどのフォローができるようにした方がよい。
昔は痴呆症という医学用語だったのだが、いつの間にかこの医学用語が差別用語ということにされてしまい、認知症という病名に言い換えられるようになった。
でもこの認知症という言葉だって人間が差別する時に頻回に使うようになれば、数十年後は「認知症? 差別用語だ。呼称を変えるべき」という話になる。つまり、なんだか数十年おきに表面上の言葉だけがただ置き換えられているだけの話なんだと思う。
認知症の方の徘徊は確かに「自分なりの理由」があるのである。しかし理由といっても通常の社会生活の中では破たんした理由であり、同じ環境内で共存するには周囲の人からは看過できない行動なのである。
よって健常人の「外出中に道に迷う」こととは「区別」する必要があり、これは差別にはならない。
近年ではどんな場合でも声高に人権、人権ということで全員を健常人と同じカテゴリーにしようと思っているのかもしれない。でも逆に認知症の方の人権を守るにはある意味周囲から分かるような「区分け」をして地域社会で声掛けなどのフォローができるようにした方がよい。
昔は痴呆症という医学用語だったのだが、いつの間にかこの医学用語が差別用語ということにされてしまい、認知症という病名に言い換えられるようになった。
でもこの認知症という言葉だって人間が差別する時に頻回に使うようになれば、数十年後は「認知症? 差別用語だ。呼称を変えるべき」という話になる。つまり、なんだか数十年おきに表面上の言葉だけがただ置き換えられているだけの話なんだと思う。