きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

原因追求

2012-02-11 | 息子keke
Aさんが「息子はどうなった?」と訊いてきたので、ありのままの状況を言った。

Aさんは親の反対を押し切って大学に行ったので、入学金以外は出してもらえず、学費も生活費も全部バイトで稼いでいたと言う。
しかし、生活は逼迫し、電気ガスを止められた回数は数知れず、友達とタバコとカップラーメンを一つずつ買って、分け合って食べた事もあった、と言う。
「あの頃の友達とは今でも仲がいいんだ」と言う。

「でも、あの時、もし親が止まった電気代やガス代とか出してくれていたら、そのままだったんじゃないかなァ」と言い、「大学を辞めたのはともかく、そのまま1人暮らしをさせておけば良かったんじゃないの?」と言う。

「カップラーメンさえ食べられなくなったら、どうにか働こうと思うだろう」と言い、これからもっと近くですぐ行ける距離で1人暮らしをさせればどうかなぁ、と言う。

だけど最後には「やっぱり分からないなぁ、こう言う事は。」と言う。


Aさんとはまた違うのだが、私はこう言うある種の「原因追求」に疲れている。

G子もそうだ。「原因があるから結果がある」と言い、こう言う人は親が悪いんだからこうしなさい、ああしなさい、が定番で、それを拒むと最後は「それなら私はもう手を引きます」と来る。

(自分が一番悪いのも棚に上げてだが)、何て無責任なんだろう。

結局その人達は、幾つもの選択肢のゴールを「それなら私はもう知りません」で結びつけていて、たった1本だけ「上手くいきました」と言うゴール、それは「100%私の言う事をきいたから上手く行きましたよ」と言うゴールなのである。

他人の言う事を100%きちんときけるヤツがどこに居るか。
あの自信はどこから来るのか。
結局、自分が可愛くて自分のためにそうしてるから、相手が言う事をきかないと手を引くんだろう。

それですがるように、時に金まで払っても、どんなに思い悩んでも最後に責任を取る(養う)のは自分しかいない。
生きている間中、養っていくのも自分。
やりたいと言われれば、できるだけの応援をしていくのも自分。
死なれたら供養するのも自分。

責任は自分達で取るんだから、最終決定も自分達だよな。


それで解決したら世の中ニートなんているはずがない。普通の親なら、できることならどうにかしたい、と普通に思い、本を読んだり人の意見をきいたり、私と同じようなことをしているはずである。
そして、その結果が日本国内にわんさかいるニートなのである。
みんな親は頑張っているはずだ。

でも、Aさんは思いつかないままでも心配して一生懸命考えてくれたと言うことは覚えておこう。
気持はありがたい、でもそれは違うんだ、と言える(いや言えなくても思える)ように私がなれればいいのさ。

自分に経験も無いのにいろんな事を言ってくる人はこれからも、わんさかいるだろう。
それに対する構えは必要に思う。息子はちゃんとバイトしてますとウソをつくか、本当の事を言った後の相手の刃から身を守る言葉を用意しておかなければならない。