きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

本物の「大人」になるヒント

2012-02-26 | 日記
曽根綾子さん「本物の大人になるヒント」と言う本を借りる。

その中で「自分の子供が歩行者天国で(配っている)タダのトマトをもらって『得しちゃったね』と言ったら、横っ面をひっぱたき、その心の貧しさをかなり重症と考えるだろう」と言う文面があった。

これを読んで、日頃スーパーでの半額見切り品ゲットを楽しんでいる自分は少々恥かしくなった。


その反面、最近半額サンドイッチは週に1回買えるかどうかぐらいの頻度になった。
何故なら、人が並び過ぎてて、なかなか手に入らなくなったのである。
おそらく、半額タイムになる前から、買わずにショウウインドーの前でに並んでいる人がいるのではないか、と思われる。

そして、私はそのように並んでいる人を内心、「いやしい」と見ていた。
おそらく、曽根さんはその感覚を持たれているのだと思う。


ところが、自分がその列の中ごろで「何のサンドイッチをゲットできるのだろう」とワクワクしている時は違うのである。
何故なら、自分は母子家庭だからである。
その上に、今では扶養手当も児童手当も養育費も無くなってしまった母子家庭だから、半額のサンドイッチを買うに最もふさわしいのではないか、と真面目に思っているからである。

それにしてもあそこに並んでいる(学生はともかくとして)オジサンやオバサン、或いは小さい子連れの主婦さんは、いったい何を思って、半額のサンドイッチに並ぶのだろうか。

私並みの何か事情(旦那が失業してしまいましたとか)があるのだろうか。
そもそも、旦那が仕事から帰ってきて、テーブルや冷蔵庫に半額の見切りのサンドイッチがドドドンと置いてあったら、どんな気持になるのだろうか等とグルグル考えてみるが、所詮他人のすることなので、分かる由もない。
でも、何だか、自分と同じような感覚でああも並んでいる人を見ると、とても不思議な気持がしているのも事実なのだ。


それは、サンドイッチ屋に限らず、日本全体がそう言う方向に進んでいるように思われる。

社員には1円もボーナスを渡さず自分だけ高い車ばっか乗り換える経営者とか、番組まるまる全てがスポンサー(大手チェーン店)の宣伝になっているような番組とか、国民より自分の保身の方が大切な政治家とか、「これで良いのかね?」と思うことが、当たり前にまかり通っているのがこの国の今の状態である。

あそこで並ぶ人達は、私と同じように「自分こそビンボウだからふさわしい」と思っているのだろう。
その実態はともかく、「自分は欲しいものがあっても買えないビンボウ人だ」と言う気持が日本中に蔓延しているのである。

何故そうなったのかと言うと、目新しいものがこれでもかこれでもかと生産されるからである。
昭和の感覚で宣伝されているものを当たり前に手に入れるには、ほとんどの人が給料が少なすぎるのである。
なので、常にビンボウと言う感覚にさらされている。


曽根綾子さんの本の続きを読むと、
「他人のために愛を持って損な立場に回れること」
が、人間として光栄に満ちたものであるらしい。

私はまだ、その言われる意味がよくわからないので、不完全なままでも、もうしばらく半額見切りのサンドイッチをゲットする方の立場でいる予定である。
(これがビンボウ人の娯楽の一部と化している状態なのである。)