今日は家に帰ると、kekeがボォーっとしながら、こたつにあたっていた。
目の前にはからっぽになったお皿があり、「ドーナツを1つ食べた。」と言う。
ドーナツと言えば、昨日OM君のお母さんにチラシで見た電気ポットが買いたいから乗せてってほしいと言われ、高台にあるスーパーまで行った帰りに買った。(そこは自転車だと一苦労なのだ。)
OMさんは1人2つだったのか8個買い、うちは「2つは食べないだろう」と1人1個づつ買って行った。
その2個のうち、1個を私は今日の昼食に持って行った。
昼休みにそれをパクパク食べた後、「あぁ、まだ腹が満たないなぁ、何かコンビニで買おうかな」と思った矢先に、nanuさんが事務所に現れて、「お茶入れて」と言ったら、社長が「オレも」と言い出して、コーヒーを沸かしながら、「やっぱりお腹がすいたから、お年賀のせんべいでも食べよう」と食べていたら、nanuさんが「誰々さんに写真をメールで送って」とか言い出して、しぶしぶやっているうちに、1時に社長と待ち合わせの客が現れて、コーヒーを出してて、それきりになってしまい、3時になったら、腹が減って腹が減って、「何でもいいから何か食べたい」と言う気持になり、コンビニで赤飯のおにぎりを買って食べた、と言う経緯がある。
そんな中、家に帰ると、kekeが「ドーナツ1個食べた」と言いながら、カラのお皿を前にボーっと座っているのである。
朝からそれしか食べてない。
何故食べない?
何故買いに行かない?
何故、それで済む???
10年経ってもこうして、家に帰って玄関をパタンと開けると、kekeが「今日はドーナツ1個食べた」と座っているのだろうか。。。
恐ろしいような気もするが、それが現実なのかもしれない。
でも、自分の寿命が尽きればもう何も知らずに済む。
そのあと、kekeが生きようが死のうが、私は知らない。
それが親の特権だ。
たぶん、私はkekeがどんなになっても知らずに済む。
自分が分かる間は助けたり分け合ったりすればいいし、その後の事は知らなくていいのだ。
そう思えば、少しは気楽になれるかな。
目の前にはからっぽになったお皿があり、「ドーナツを1つ食べた。」と言う。
ドーナツと言えば、昨日OM君のお母さんにチラシで見た電気ポットが買いたいから乗せてってほしいと言われ、高台にあるスーパーまで行った帰りに買った。(そこは自転車だと一苦労なのだ。)
OMさんは1人2つだったのか8個買い、うちは「2つは食べないだろう」と1人1個づつ買って行った。
その2個のうち、1個を私は今日の昼食に持って行った。
昼休みにそれをパクパク食べた後、「あぁ、まだ腹が満たないなぁ、何かコンビニで買おうかな」と思った矢先に、nanuさんが事務所に現れて、「お茶入れて」と言ったら、社長が「オレも」と言い出して、コーヒーを沸かしながら、「やっぱりお腹がすいたから、お年賀のせんべいでも食べよう」と食べていたら、nanuさんが「誰々さんに写真をメールで送って」とか言い出して、しぶしぶやっているうちに、1時に社長と待ち合わせの客が現れて、コーヒーを出してて、それきりになってしまい、3時になったら、腹が減って腹が減って、「何でもいいから何か食べたい」と言う気持になり、コンビニで赤飯のおにぎりを買って食べた、と言う経緯がある。
そんな中、家に帰ると、kekeが「ドーナツ1個食べた」と言いながら、カラのお皿を前にボーっと座っているのである。
朝からそれしか食べてない。
何故食べない?
何故買いに行かない?
何故、それで済む???
10年経ってもこうして、家に帰って玄関をパタンと開けると、kekeが「今日はドーナツ1個食べた」と座っているのだろうか。。。
恐ろしいような気もするが、それが現実なのかもしれない。
でも、自分の寿命が尽きればもう何も知らずに済む。
そのあと、kekeが生きようが死のうが、私は知らない。
それが親の特権だ。
たぶん、私はkekeがどんなになっても知らずに済む。
自分が分かる間は助けたり分け合ったりすればいいし、その後の事は知らなくていいのだ。
そう思えば、少しは気楽になれるかな。