きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

たとえ、どんなに

2012-02-24 | 息子keke
昨日TVを見てたら、自転車のCMが流れてて、姪が高校入学のお祝いにスマートフォンと自転車を買ってもらったんだ、って話をkekeとした。

kekeはちょっと苦笑。

いや、だからそう言う誰と比べてどうこうって意味じゃなかったんだけど、誤解されたかな?

今はもう何とも思ってなくて、どうしてほしいとか、こうしたらどうだ、ってことは一切なくて、ずっとこのままでもいいんだ、って思ってるんだ。
だから、kekeのことは、淡々と感情を持たずに受け入れている。

何かのアクションに対して、「これはどう」って感情を持つことが無意味に思えて、だってさ、「褒める」ってことですら、それにいちいち介入して他人が頭で判断しなきゃならないわけで、もうそう言う事が煩わしく思えて、ただありのままのキミを、それでいいって思ったんだよ。

本来、kekeは怒られるタイプではない。
だって、真面目でおとなしくて、何も悪い事はしないんだもの。

それを怒ってきたのは、「あとあとこれじゃ困るだろう」と思っていたわけで、でも、あとあと困るのは、本人であって、私じゃないんだよね。だから、本人がそれでいいって思う限りは、本当はそれで良いわけで、違うそうじゃないって他人に言われたら、「自分の人生は自分で決める」とか「人に言われたままの人生なら生きていたくない」って結論になるわけだ。

それがとても分かったんだよ。

たとえどんなに、その人の事を思っていたって、どんなに心配してたって、その人に嫌われるようなことをしたら、受け入れてもらえない。
嫌われるようなことは、例えば否定することだったり、求められていないことをすること。

否定するってことは、人によって解釈は違うと思うけれど、相手を変えようとする全ての言葉がそれにつながるのではないか、と思っている。
「こうしたらいいんじゃない」って言う言葉も、結局は「今のアナタは良くないから、こうしたらいいんじゃない」って言う意味だから。

だから、ありのままの、今のキミで、この状態でいいのだ、と気がついた。^^

義務教育は終わってるし、親が養っててその金で食っているんだから、人には迷惑掛けてない。
義務があるとすれば、国民年金払うことぐらい。
それさえしてれば大手を振るって普通に生活してていいんだよ。

誰だって、今の自分を「こう変えなさい」って言われたらイヤだ。
kekeだって同じだったの。

たとえどんなにアナタの事を思っていたから、って関係ない。
心配も関係ない。
そんなのイヤだったの。
とってもイヤだったの。

私、嫌われても当然です。

なので、ああ言う怒り方をすることは、もうこの先たぶん無いでしょう。