社長が帰ってしまって、秀クンと二人になった。
私はマグカップを洗った手を拭きながら「今日の夕飯何にしようかなァ」と言って、「昨日は何でしたか?」と訊いてみた。
秀クンは2~3分考えて「忘れた。」と言い、まともに食べてないからね、と言う。
「まともに食べてないんですか?」
「(子供が)じっとしてなくて、それどころじゃないよ。」
秀クンは「こうだからね」と言い、バンバンバン!と周りを叩く真似をした。
「昨日はしばらく泣かせておいたよ。」と言う。
「そういうこともありますよ。」と私も言う。
私もかつて、一度だけどうしてもkekeが泣きやまず放ったらかしておいたことがあった。罪悪感があったようで、23年経った今でも、そのことをはっきり覚えている。
あの時は疲れていて、いやあの時に限らずあの頃はいつも年中疲労していて、その日はもうなす術がなかったのだ。言い訳がましいが、元夫が出勤する日はほとんど真夜中になっていて、いつもいつも二人きりであった。
そして、私は「放っておける自分をみつけた」ことで、やっとそこから逃れられたような気がしていた。
kekeのことが大好きだったのに、だからこそしんどかったのだろうか。完璧に育てようとすればするほど、育児書からどんどん遠ざかっていく現実の海の底にもぐらされていた。
今振り返るとまるでロボットになったような毎日だった。kekeが寝ている時だけが、水面から顔を出して呼吸できていた。
そして、翌日同じアパートのお母さんから、「昨日はずいぶんkeke君泣いてたね」と言われて、非常に反省したのだった。
「さっきも電話があったよ。」
と秀クンは言い、「まだ仕事中なのに、【ぐずるから帰って来て】だってさ。」と言う。
「いいですね、言えば帰って来てくれる旦那さんがいて。」
と褒めているのか、イヤミなのか分からないひとり親感想をもらして、「そういう時に誰かそばにいるだけで違うんですよ。」と言った。
そして、「生きていればいいんですよ。」と言った。
「それじゃ、帰ろうかな」
と秀クンが言うので、私も帰ることにした。
秀クンの話を聞いて23年前を思い出し、もしも孫が生まれたらやっぱり面倒をみるようになるのかなぁ、でも今さらできるのかなァ、なんてことをボンヤリ考えた。
私はマグカップを洗った手を拭きながら「今日の夕飯何にしようかなァ」と言って、「昨日は何でしたか?」と訊いてみた。
秀クンは2~3分考えて「忘れた。」と言い、まともに食べてないからね、と言う。
「まともに食べてないんですか?」
「(子供が)じっとしてなくて、それどころじゃないよ。」
秀クンは「こうだからね」と言い、バンバンバン!と周りを叩く真似をした。
「昨日はしばらく泣かせておいたよ。」と言う。
「そういうこともありますよ。」と私も言う。
私もかつて、一度だけどうしてもkekeが泣きやまず放ったらかしておいたことがあった。罪悪感があったようで、23年経った今でも、そのことをはっきり覚えている。
あの時は疲れていて、いやあの時に限らずあの頃はいつも年中疲労していて、その日はもうなす術がなかったのだ。言い訳がましいが、元夫が出勤する日はほとんど真夜中になっていて、いつもいつも二人きりであった。
そして、私は「放っておける自分をみつけた」ことで、やっとそこから逃れられたような気がしていた。
kekeのことが大好きだったのに、だからこそしんどかったのだろうか。完璧に育てようとすればするほど、育児書からどんどん遠ざかっていく現実の海の底にもぐらされていた。
今振り返るとまるでロボットになったような毎日だった。kekeが寝ている時だけが、水面から顔を出して呼吸できていた。
そして、翌日同じアパートのお母さんから、「昨日はずいぶんkeke君泣いてたね」と言われて、非常に反省したのだった。
「さっきも電話があったよ。」
と秀クンは言い、「まだ仕事中なのに、【ぐずるから帰って来て】だってさ。」と言う。
「いいですね、言えば帰って来てくれる旦那さんがいて。」
と褒めているのか、イヤミなのか分からないひとり親感想をもらして、「そういう時に誰かそばにいるだけで違うんですよ。」と言った。
そして、「生きていればいいんですよ。」と言った。
「それじゃ、帰ろうかな」
と秀クンが言うので、私も帰ることにした。
秀クンの話を聞いて23年前を思い出し、もしも孫が生まれたらやっぱり面倒をみるようになるのかなぁ、でも今さらできるのかなァ、なんてことをボンヤリ考えた。