きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

西野カナちゃんBEST Love Collection

2013-12-07 | 歌謡曲・カラオケ
新曲「さよなら」がえらく気に入ったので、西野カナちゃんのベストアルバムを借りている。

9月に出たベストアルバムはLove Collection「ミント」バージョンと、同「ピンク」バージョンがあり、それぞれレンタルするのに300円掛かるので、600円も掛かってしまった。
でもいいのだ。後悔はしない。

そして聴いているうちに、カナちゃんの曲は、幾つかの傾向があることに気がついた。

①女子高校生のチアガール風の元気曲。
「Believe」「GO FOR IT!!」のようなポップな元気曲である。年配世代に分かるように言うと、西城秀樹の「Y.M.C.A」ノリである。ただし70年代ではないので、もっとオシャレにアップテンポ。恋に勉強に部活にパワフルに活動している女子高生のパワーを感じるようなハイテンション。
カラオケで歌えば、一同で「イェイ!」「ヘイ!」と掛け声と手拍子で盛り上がるだろうこと間違いなし。

②正当派ラブバラード。
「ALWAYS」「君って」に代表される正当なラブバラードである。
振り返ると私達80年代の恋愛歌謡曲はアイドルノリであった。要するにブリッコしてみたり、或いはツッパッてみたりして、男をちょろっと引っ掛けちゃおうと言うしたたかさがあった。
しかし、カナちゃんの正当ラブバラードはそんなセコイことはしない。「いつもいっしょに居てくれて感謝してる。これからもお互いに歩いていこうね。」みたいな感じで、どこから来てもいいよ、私は変わらずここにいるから、みたいなドデン!と根っこが張ってるたくましさがあるのである。
30年前の男に媚びた20代女子とはスケールの違いを感じさせる。

③女子同士親友編。
「Best Friend」「私たち」のような女子同士の友情を歌う曲。
正直言って、この分野はよく理解できない私である。70年代、80年代では歌謡曲=恋愛であり、恋愛でないものは歌にならなかったのではなかろうか。高田みづえで「女ともだち」と言う歌があったが、あれも結局は友情ではなく、片思いの彼を親友にゆずってしまった残念無念の恋愛歌だ。
何度聴いても、この二つは「彼」ではなく「友達」ようだ。おそらく女子同士である。レズビアンではないのか?大丈夫か?と思うが、歌詞からはきわめて健康的な友情が読み取れる不思議な分野。

④ひたむき切ないほろ苦い恋の歌。
「会いたくて会いたくて」「Maybe」あたりがそうであろうか。大好きな彼に芽生える嫉妬や失恋のイタミを歌にしたひたむき切ない編である。私のようなオバサンは心変わりをして去っていった男なんて「けっ!」と思ってアッカンベーをして終わりなのだが、カナちゃんは「それでももう一度会いたい」と歌うのである。
私はこういう歌詞に弱いのだ。「会いたくて会いたくて」は曲も歌い方も初期のBoAを彷彿させ、これから覚えたい。

kekeに「ヒトカラ行って来ようかな~」と言うと、いつものように「行って来れば」と言うので、「こうやって、ちょこちょこ行って年間でカラオケにどのぐらい金使ってるんだろう?カナちゃんのCDも借りるのに600円掛かって、1回歌いに行くと500円は掛かるからね。」と言うと、「趣味にしては全然安い方だと思う。CDもレンタルだし。」と悟り口調で言われる。

この年になって西野カナちゃんもどうかと思うけれど、私の父も、私がハタチぐらいの時にマッチ(近藤真彦)を歌っていた。
親子でそういうところも似ているのだろうか。

気持を伝えよう

2013-12-07 | 今の会社
秀クンが社長と仕事の話をしていて、「ってことだから。sakeさん!」と言う。
そして話を聞いていなかった私が「?」と言う顔をすると、アハハと上から目線で笑う。

私はこのポーズがキライだった。
なぜなら、彼がこんな横柄な態度をとるのは私に対してだけだからである。
社長の前だから、「自分はできる社員ですよ」アピールなのではないか?とさえ勘ぐりたくなる。(彼の名誉のためにそこまでは思いたくないが。)

昨日もそういうことを言って、「アハハハ、しょうがないなsakeさんは」と言うので、カチン!ときて「私だって、他にやってることがあるんだから。」と小さい声でつぶやいてしまった。

言った後で、ハッとした。
私が彼に対しても、会社の中でも、自分自身でも、こんな風に正直に思ったことを口に出してしまうことは、とても珍しいことだったのだ。

いつも言われたら言い返せなかった。

幼稚園時代にいじめられた時も。
「お前はクラスで一番きらい」と言われた時。

学生時代も友達から誘われると断われなかった。
振り返ると、本当は入りたい部活も、受ける気の無い授業もあったのに。
相手と合わせることが自分の性格だと思ってきた。

逆らう言葉は全部のみこんできた。
「自分だったら、こうはしないのに。」どこかでそんな風に思いながら、そういう現象をいつも受け入れてきたように思う。「何かおかしい」と思っても、相手の態度が強いと自分が悪いような気がしてしまうのである。


だけど、私は言った。
「私だって他にやっていることがあるんだから。」
相手が聞いているかどうか判断せずに、遠くからの会話だけで仕事の指示をするあなたにも問題はありませんか、と私は言いたかったのだ。

そうだ、私は言っていいのだ。
言い方はまだ改良の余地があるが、「私はこんな気持です。」と。

私は(その言い方をされると)ツライです。
私は(その言い方をされると)傷つきます。

ヘレン・ケラーの「ウォーター!」ぐらいの感動だ。

言い方は考える必要がまだあるけれど、私は言っていい。
素直な気持を。
感じる気持を。

それをどう判断するかは相手の問題だ。
私は大切にしよう。
自分の気持を。
生まれた気持を素直に「そうだね」と受け止めよう。

伝えることで、もっとスムーズな新しい関係が生まれるかもしれない。
言葉を飲み込むことで、相手を傷つけないつもりでいたけれど、むしろ、伝えることで心から仲良くできるかもしれない。

だから、これからは伝えよう。
自分の気持を。