きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

自分は自分で

2012-07-21 | 巷の話題
大阪の橋下知事のスキャンダルが出たけれど(私は)悪い印象にはなっていないです。
政治のことは詳しく知らないけれど、これから大阪や日本を引っ張って行ける人であるならば、仕事は仕事で評価したいものです。

浮いた話は無いに越したことはないけれど、何十年も生きていたら好きな人の1人ぐらいどこかでできるかもしれません。
私は幼稚園の頃から「大きくなったらお嫁さんになりたい」人だったので、こういうことで辛かったり悩んだりしながらも、ともに歩いて成長していく夫婦と言う形がとても羨ましく思ったりします。

自分の旦那がよそで浮気をしてたら、それはそれは(私もそうでしたけど)ショックでしょう。
でもね、本当に好きで添い遂げたいと思う気持ちがあれば、それでも添い遂げられるのです。一緒にいれるだけで「ありがたい」と思えたら、時間は掛かっても折り合っていける気がします。

14年前、離婚当時の私は旦那を好きで裏切られたような気持ちでいましたけれど、一緒にいれるだけで「ありがたい」とはとても思えず、今思うと、愛情がエゴと言うか、「旦那に愛されている自分」でないとイヤだった、一緒にいるありがたさより、自分のプライドの方を守りたかったのでしょうねぇ。

そういう状態の時は鬼に金棒のように頑なに「浮気は絶対に許せない!!」などと言ってしまうのですが(←かつての自分)、その正当性だけで人の気持を封じ込めることはできないんです。
行動は規定できても、心は封じ込められない。
そもそも人は他の誰かを安心させるために生まれてきたわけではないのです。

その人にはその人の気持があって、自分には自分の気持がある。
相手を傷つけない配慮は必要ですが、自分に正直に生きることは続けていきたいかな。

弱い気持を持っているから、そこは人任せにしない。
自分は自分でしっかり根を張って生きていくようにしたいです。

自分は自分の楽しみや成長があって、人は人で生きる目的がよそにあって、それでも何らかの縁があって、一緒の方向を向いて歩いていけたら、それが例え限りある時間でしかなくても、うれしいこと。

今はそんな風に思います。^^
紆余曲折の人生、神様にありがとう。

車を仕事で

2012-07-20 | 車の練習
社長から初めて「(取引先の名前)に行って書類を受け取ってほしい」と言う命令がくだる。

地図帳を広げながら、「ここだ」と指をさして、「この前の道路は一方通行だからこっちからでないと行けないから気を付けて。」と言う。

一方通行とか細い道は苦手なのだ。(ーー;)
そもそも私は路駐していい場所とそうでない場所が分かってないし、もう2回違反をしているから、これ以上は駐車禁止はゼッタイできない。

まず地図を見ながら、どこに止めればいいのだろう?と考えて、近くにある社会保険事務所に止めさせてもらおうと考え、車に乗り込んだ。

ダッシュボードに置いてあるいつもの地図を開いてみると、ここいらは格子マスのように一方通行が交互になっていて、たまらなく不安になってくる。

本来曲がりたい所は、大通りから3つ目の曲がり角なのだが、信号がないのでたぶんタイミング良くうまく曲がれないと思い、次の大きな曲がり角の信号の名前を覚えてエンジンをかけるけど、この車を買って3年近くになると言うのに、地元の混み行った街中を走るのにさえ、こんなに心の準備が必要なのか、自分。

そして案の定、曲がるべき所で曲がれずに(道が細くて直前まで道があるかどうか分からないから)、覚えておいた次の信号で曲がり、それから勘を頼りに太めの2本目の道を左折できて、社会保険事務所についたが、ここで私がひょいと駐車できるほど駐車場は広くないことが判明し、これじゃお尻から入れられない、入れてもこれじゃ出せないし、しかもここには用がないからにして、バツも悪くて、駐車できないまま、同じ所を回り続ける。(もちろんステレオは切った。運転に集中するため)

そして駐車場を探すけど、1個目2個目も満車、通りを直通してたらまたもや大通りにでてしまい、一方通行を確かめなきゃならないから、ただ1人ノロノロ運転と言う目も当てられない状態で、「もう遠くても構わない!止める場所さえあれば!どこだって!」と思ったところで、駐車場の「空」の文字が見え、どうにか入れることができた。

そして社長の地図を見ながら、取引先の事務所を尋ねると、ちゃんと1台分止める場所があった。

そして苦労してもらえた封筒を抱えて事務所に戻り、留守の社長の机に置いておく。
何もなかったような涼しい顔で。

まだまだこれでは仕事で車を使えてます、とは言えないか。。(ーー;)

暑いです

2012-07-19 | 息子keke
いよいよ、ハンパない暑さが始まる。

切手を買いに10分歩くだけで、もわ~んとする。(+o+)
この前までマイブームだった万歩計も、ごく最近買ったスープ弁当も、この暑さでどこかに飛んでいった。

課長はこの暑さに外に出てもすぐに帰ってきてる。
社長も「暑ちぃ。。」と言いながら事務所に戻ってきた。
(1度外に出たら一言ボヤかずにはいられない気温である。)

この温度の中、他の人は現場で働いていると思うと、今年は申し訳なく思う。
こんな気温でずっと外に出ていたら、私は熱中症になっている。
安月給でもクーラーが利いている方が良いかもしれない。
感謝だけはしようと思い、みんなが帰ってきた時にヒエヒエの美味しいお茶が飲めるようにお中元の缶を冷やして、差し出すことにした。
(私が作るお茶より好評)

夕方、OM君のお母さんからメールが来た。
実家から畑のキュウリとじゃがいもが届いたからおすそ分けしてくれると言う。

「しばらく~」とあいさつをして、OMさんにkekeのバイトが続いていることを言うと、喜んでくれた。
OM君はこれから大学院を受験するらしい。

OMさんは「この世の中、いつ何が起こってもおかしくないと思うの。」と言い、「元気でいてくれさえすればいいわ。」と言う。

「そう言えば!」と私は言い、「うちの会社で停車してる時に後ろからぶつけられた人がいるんですよ。大事に至らなくてよかったけど本当にいつ何があるか分からないものですね。」と言うと、OMさんは「親に知り合いの息子さんが仕事の最中に高い所から落下して寝たきりになっているのよ。」と言う。

お母さんは1人息子なので、とてもショックを受けていて、「でもね、それでも話もできるし意思も伝わるの、それだけでもいいじゃないって言ったのよ。」と言う。

「ほんとにそうですね、私もkekeが学校に行かない時は怒ってばかりいたけれど、今はご飯を一緒に食べれるだけでありがたいと思うんです。」
「ほんとにそうだわ。」とOMさんも言った。

自分も寿命の半分以上は過ぎてしまったと確信してからか、親の老いて行く姿を現在間近に見ているからなのか、子供の成長が必ずしも規定路線とは限らないこと。
自分達の若かりし時代はもっとノーテンキであったこと、同じものを与えられない申し訳なさ。

道を歩いていると、親の世代の人が歩いていないことに気付く。
まったく歩いていない訳じゃないけれど、自分達が若い頃はもちろん、母が亡くなった9年前には似たような人が、父と似たような人も似たような帽子をかぶって歩いていたのに、だんだんと見かけなくなっている。

いつ、誰がどうなるかなんて、もう分からない。
自分がなくなっちゃうかもしれないし、誰かがいなくなってしまうかも。

子供の頃は「今」と言う時間の感覚がやたら長くて、特に辛い最中は、「今」が終わることだけをひたすら願っていた。
大人になり始めた時も、生きてることは面倒でしかなくて、それが終わる日が来ればいいのになぁと思ってた。

こんな年になると、これが必ず終わることを知り、会うのは別れの始まりであること、よくも悪くも「ずっとこのまま」ってことは無い事を知るのである。
(だから今を大切にするのだと。)


kekeと夕飯を食べながら、「(今日も)TVつけないのね、リモコンの電池は買ってきたよ」と言うと、自分も買ったと言って、「アルカリよりマンガンの方がいいんだけど」と私の電池にツッコミをいれて、「最近TVつまらない」と言う。

何の話からそうなったのか忘れたけど、kekeは「あと6年ぐらいは生きていようかな」と思っているそうで、詳しくは訊かなかったけど、おそらく今のポジションが許されるのがそのぐらいの年齢までと本人が考えているのだろうか。

私は「生活保護もあるし、私が働くから死ぬことはないんじゃないか。」と言うけれど、やはりそれ以降は積極的に生きる意欲がなく、できれば人生終わりたい様子。

私もそのぐらいの年の頃は、困ったこともほとんど無に等しかった割りに、生きているのが辛く面倒で、親に守られていたのも分かっておらずで、無理もないかもなと思う。
あと6年は生きているそうなので、その間にまた何かが変わるのをぼんやりと期待していよう。
毎日おいしいものが食べれて、ゆっくり眠れる環境にあれば、6年後に「あと2~3年は生きていてもいいかな」と考えるような気がする。

人生、その延長。
私自身も、その繰り返しでここまで来たような気がする。


OMさんは「今年が特別暑いのか、自分が更年期なのか分からないけれど、去年までとは違って我慢できずに家でクーラーを入れてるの。」と言う。
私もまさにその通りで、今年は会社でガンガン冷房をきかせている。
去年までは長袖のブラウスだったけど、もうジバラでもいいから半袖を買おうかと思う。

それぐらい暑いです。

夏物バーゲン

2012-07-17 | 日記
図書館で借りた雑誌に偶然「2PM」の特集記事があり、カラーコピーをして姪っ子に渡そうと思いついた。
(下の姪っ子が2PMと言うグループのファンなのである。)

kekeが買ったばかりのプリンターでコピーを取ろうとするが、説明書を見ないとやり方が分からず、
あちこちボタンを押してみるが、壊すと困るのでkekeに教えてもらうことにした。
そして、教えてもらうと、きれいにカラーコピーが撮れた。

そして妹に電話すると、「きっと喜ぶよー」と言うので早速持って行った。
(姪っ子には会えなかったが。。)


エッヘン。(*^_^*)
さっそく「プリンセスダイアリー」に書くことにしよう。

「プリンセスダイアリー」とは上原愛加さんの本に書いてある魔法(おまじない)の一つである。
毎日「うれしいなー(*^^*)」って思った時や人に喜ばれた時に、つかさずそこにメモする。
それを毎日続けていくと、うれしいことがどんどん増えて、やがていいことが自然に舞い込んでくるそうである。(そして、自分の願いが叶うと言う。。。)

イトーヨーカドーで奮発して320円のピンクの水玉の手帳(ノート?)にした。^^

ちなみにそこにメモする「うれしいなー」と言う内容は多いほど良いようである。
(そのヒントは何でもない日常生活にいっぱい隠れているとか。。。)


そして私は今日は街中に出かけた。

この時期に夏物のバーゲンをあちこちでしているようである。
私はあちこち覗いてみたが、どうもいまいちピンと来ない。

ある店では「こんなTシャツkekeに良いかも」と思ったが、「女性用です」と言われ断念したり、男物だとどれもこれも同じような気がして、やはりピンと来なかった。

結局買ったのは、kekeに3足の靴下と自分に4足入りストッキング。
これだったらわざわざ都内に出なくても、家の周りで買えたのに・・・とツッコミを入れつつ、でも「都内でゆっくり服を見る」と言う本来の目的は果たせたと言えよう。
ストッキングは今年はまだ買ってなかったので、ここでほとんどのものがつま先(或いはかかと)が破れてしまっていたのである。

行かなくて「行ったら買えたかも」と思うよりは、行ってみて「ピンと来なくて買わずに帰ってきた」方がサバサバしている気がする。
何事もそうかもしれない。
やってみてダメでも、「やれば良かった」と思い続けるよりはサバサバできる。
やりたいと思ったら、やってみること大切ね。^^;

なんせ2000円以上は大金である。
ピンと来ないものに金は払えない。
バーゲンが終わった頃にまた新たな出会いがあるかもしれないのだから。。。。

そして、松屋の「カレー今だけ290円」の広告に吸い寄せられるように私は持ち帰りチケットを買った。
kekeには「おろしポン酢牛丼」を買った。

そして家に帰って「帰りに牛丼買ってきた」とkekeに言った。
二人で食べた。

kekeはネギとおろしとタレを指差して、「これで100円の違いなのか?」と言う。
でも、おいしかったそうで、今の私はこんなことがシアワセなのだった。^^v

ときめきの風

2012-07-16 | 父の記録と母の思い出
今日の朝の風はとても気持がいいや。

悲しい事件を聞くと心が痛む。
今、こうしている間もどこかで誰かが同じように悩んでいるのかもと思うとやるせない。

こう言う所がすごく不器用なので、1度そう思ってしまうと、なかなか頭から離れない。
それでも今日も元気で楽しく暮らしていこう。
みんなが自分や自分の周りの人を大切にできたら、やさしい輪が広がって、こう言う事がだんだん無くなるように願っていよう。


と言うことで、一昨日は父の所に言った。

どんぶりを食べ終えているところで、私に茶碗を渡すと「パーマネント」と言う。
(終わったよとか、もう要らないという意味なのだと思う。)

春雨サラダが残っていたので、お皿を箸を手渡しすると、また食べた。
それからお吸い物も飲んだ。

どんぶりの周りについたご飯粒をすくって父に食べさせた。

早く食べ終えてしまったので、「賽銭箱の歌覚えてる?」と尋ねると、また

賽銭箱に、100円玉投げたら、つり銭出てくる人生がいいと、

とお経のようにつぶやきだした。
言葉の意味がだんだん通じなくなるのに、歌はこうして出てくるのだ。
そう思った。


昨日はお好み焼きを焼こうとしたら、ケーキ用の粉があるのを見つけた。
kekeが買ってきたのだと思う。

ケーキ用の粉があったよと言うと、「ケーキを焼こうとしてレシピを検索したけど、難しそうだから。」と言う返事が返って来た。
甘いものも何か一つ作れるようになりたいのだ、と言う。
チョコレートケーキのレシピを見て買ってきたのだと言う。

そんな訳で、今日は朝の風を楽しんでいる。
kekeが起きてきて、一緒にできることがあったらすればいいし
部屋にこもるようだったら(これから暑くなるだろうから)、車の中で涼みながらドライブしよう。

昨日帰りにガソリンを満タンにしてたから、どこにも行かないのもちょっともったいない。

これからいい天気だろうなぁ。^^

自分が笑顔になれることで、少しづつ近い所からシアワセが届きますように。
今日もピンクの手帳を持ち歩いていますよ。


親に話そう

2012-07-15 | 巷の話題
大津のいじめ事件を読むたびに心が痛む。
それまで彼はどんな気持でいたのだろうと思うと、読むたびに胸が痛くなる。

「これはあまりにひどすぎる!」とkekeに言った。

「親として自分はどうすれば良いのだろう」とkekeに尋ねると、「これはどうしようもない」と言う。

「こう言う時はとにかく親に言おう、そして事情が分かれば学校に行かなくてもいいって言うからね。」と言うと、kekeは「親には絶対に言えないでしょう」と言う。

「やっぱり言えないか。」
「言えないでしょう。」

それはそうだ。
私も幼稚園でさんざいじめられたが、親には決して言えなかった。

一つに「いじめている方が悪い」と言う認識ではなく、「いじめられている自分に原因がある」と考えているので、恥かしくて親に言えなかったのである。
(たぶん先生にも言えなかったのだろう、言われなくても(私なら)気がつくと思うけど。)

しかし小学1年の時、私のノートがグジャグジャに落書きされているのを親が発見し、そこで初めて「いじめられている」事が親にばれてしまった。
すると、母親は相手の親に目の前で電話を掛け、半狂乱で相手の親に怒ったのである。

私はその様子を目の前で見て、「親が狂ってみっともなく恥ずかしい」と「相手のいじめっ子が親にばれて可哀想」と思い、「二度と親にいじめられていることは悟られないようにしなくては」と子供心に誓ったのをよく覚えている。

本人は「自分が悪いからこうなっても仕方ない」と思っていることと、いじめられるのがいつものことなので、それが特別だとは思っていないし、「いじめる方が悪い」ことに気がつかない。

私が当時の事で覚えているのは、いじめられなかった日の出来事である。
いじめられるのが普通だったので、友達から親切にされる日が逆に奇妙で気持悪くて覚えているのである。


それを踏まえて私はもう一度kekeに言う。

「こう言う時は親に言おう、そして学校に行かなくてもいいって言うのを分かってもらうんだ。」
「親には絶対言えないでしょう。」
「言えないか。」
「言えないよ。」
「kekeだったらどうする?」
「死ぬしかないでしょう。」
「それはやめよう、学校には行かなくてもいいし、引越しをすればいいんだから。」

「バイトはいじめられたりしないか?」
「そしたら、辞めてるよ。」

kekeは「高校以上になればもう大丈夫だよ」と言う。



今、いじめに悩んでいる君は親に話そう。

分かってもらえないかもしれない。
ぐじゃぐじゃになって、天と地がひっくり返るような状態になるかもしれない。
(私の母の半狂乱のように)
でも、それでも逃げれる可能性が生まれる。

黙っていてもいじめはおさまらない。
いじめているヤツは楽しくてやっているんだ。
本当の友達はそんなことはできない。

親に話して学校に行かなくていいように考えてもらおう。
引越しだってできるかもしれない。
新しい学校だったら、かばってくれる先生がもしかしたらいるかもしれない。

勉強は塾だってできる。
高校や大学に入るだけで、友達が変わる。
そしたら全然環境が変わって、いじめられなくなる。

私は小学校の低学年まではかなりいじめられたけど、中学からはそんな事は1度も無かった。
友達もできた。
環境が変われば、この状態は変わる。
それまで逃げよう。

もしも親がダメなら、親戚のオバサンやオジサン、役所の窓口でもいい、どこかに誰かいるはずだ。
お祭りの盆踊りしてるオバサン、おまわりさん。
ダメかもしれないけど、もしかしたら逃げれるかもしれない。
まず話すそう。
言えなかったらノートにあったことをいっぱい書こう。
それで分かってもらえそうな人に見せよう。
(そのまま返してもらえないと困るから、コピーを取っておくといいかもしれない。)
とにかく、どうにか逃げて生き延びることを考えよう。

今の時代は恥ずかしいのは、いじめをしている方なんだ。
されている方は恥かしくなんかない。

もう2度とこんな事件は起こりませんように。

はじまりは自分から

2012-07-14 | 息子keke
テンプレがハートになっても、恋人ができたわけではないので、安心してください。^^
私はいつもと何も変わらないのです。^^

今まで私はシアワセに条件があったんですね。
例えば「子供が学校を卒業してくれたらシアワセ」とか、「家族を大切にしてくれる旦那だったらシアワセ」とか、「彼が自分だけを見つめてくれたらシアワセ」とか。
シアワセに条件がついていたんですよ。

でも逆に考えると、その条件がはずれたら途端にシアワセじゃなくなるし、そもそも、それって全部他人の動きに左右されることでしょ。
だから安定しなかったんです。

これからはそうじゃなくて、今のまま、ありのままの自分でシアワセでいられそうな気がするのです。(*^o^*)(←と、今は思う)


自分のことを結構いいヤツだなぁ、好きだわぁ、と肯定できていたら、人の行動に必要以上に振り回されないような気がしませんか。^^
自分がハッピーだったら、子供がどうでも、恋愛がどんな形でも、好きな人がいなくても、そこにシアワセはあるのです。(^^)(みんなそれは外的要因だし)


まずは「それでいいんだよ。^^」から始めるとよいと思います。

「それでいいんだよ。」
「大丈夫だよ。」
「よくやってるね。」

同じ目の高さで、何回でも言えたらいいなと思います。
まずは自分に。

自分に言えるようになったら、自分がほんとにそう思えるようになったら
子供や家族に、他の身近な人にも自然に言えるようになると思うのです。
そこから「共感」が始まるのだと思います。

自分が本当に困っていた時に「指示」では動けない。
その時は「肯定」しかなかったのが、大きなポイントです。
子供も同じなのだと思います。

それには同じように悩んで、同じように苦しんで、同じような境地に至らないと難しいかもしれません。
そうならないと、「共感」ではなく「指示」になってしまうのです。

「共感」とは同じ目の高さになることです。
自分はその人より偉くはありません。
なので、(子供に向かって)「○○しなさい」と言う言葉にはなりません。
(友達に頼むようなお願いになると思うのです。)←そう言えばひきこもりの本にも「神様のように」と書いてあったっけ。

プリンセスレッスンの本に「もっと自分を甘やかし、自分を喜ばせましょう」と言うことが書かれていて、「なぜなら、それができるのは自分だけだから。」だそうです。

ここを読んだ時に、「あ!今まで私は自分じゃなければできない所を人任せにしてたんだな」と気づきました。^^

「それでいいんだよ」「大丈夫だよ」
それを何度も何度も何度も言ってあげられるのは、自分だけ。
ギリギリいっぱいでも「家族」まで。

そこを他人任せにしてはいけないのです。^^

今、こんな風に思えた理由は一つではなく、kekeのことで悩んだ日々も、叶わない恋愛も、車を買ったこと乗ったことも、みんなが土台になってて、ブログでいただいたコメントや、読んだ本の言葉がきっかけで、ひらめいたのです。

説教じみてて申し訳ありませんが、ここはその日思ったことをそのまま書く場所なので、書いてみました。^^

さっそく今日もこれからkekeはバイトに行くそうです。
昨日は「半月続いたねぇ」と言う話をしました。


今日はkekeの「ひきこもり」に例えてみましたが、これは恋愛でも夫婦でも同じだと思います。^^

ミラクルタイミング

2012-07-13 | 今の会社
Aさんが「明日は言おう」と言う。

「もうじき払う払う」と言ってて払ってもらえてない客がいて、「今度の10日に入金があるから、それで払います。」と言ったそうだ。
翌日通帳記入をして、「やっぱり入ってませんね」と私が言うと「昨日お金が入ると言ってたから今日かもしれない。もう一日だけ待とう。」とAさんが言った。

次の日それでも朝、もう一度残高が変わってないのを確かめてから、Aさんに入金は無いことをメールで送った。(その時間は9時半だった。)

それから社長にベープマットを買いに行かされたりしながら、銀行の前も通ったけれど(今、通帳記入しても金は動いて無いだろう)と思って、そのまま会社に戻った。(この時は10時半だった。)

その後、間も無くどう言うわけか、何となく気になって、私はネットで残高を確認する。
すると、お金が動いているのが分かったが、額がそれにしては少ないので、普通だったら別の入金だろうと気に留めないのだけど、その時に限って気になって銀行に問い合わせてみると、その客からの金だった。(但し金額は本来もらえる1/3程度)
Aさんにメールを打った。(この時、11時半ごろ)

間も無くAさんから電話が来て「その入金って何時ごろかな?」と言う。
「オレはsakeさんのメールを見てから、客に催促したんだけど、全然電話に出ないんだ。」

客に電話したのは9時40分だった、金が入ったのはその前なのかな?後なのかな?と言うので、「私が9時半に残高を見た時は入金がなかったのは間違いありません。たぶん着歴を見てから振り込んだ可能性のほうが高いですね、念のため銀行に問い合わせてみましょうか。」

そうしてみて、と言うので銀行に問い合わせると、客の振込みは11時18分だったことが分かった。

虫の予感ならぬ、グッドタイミングでよく気がついたこと!!


その日は他にもミラクルな出来事があった。

たまたま寄ったブックオフで「ほしいなぁ」と思ってた上原愛加さんの「世界一!愛されて幸せになる魔法のプリンセスレッスン」の本を偶然半額でみつけたり、その後も(その日の朝にカレーを作ったので)kekeにカツを買ったりしていて、帰りはもう8時近くになってしまった。
それで、車の中でハッと気がついた。
(朝、ご飯炊いてない。。。)

今日kekeはバイトの日だし、そうでない日も最近は私が夕飯を用意するようになっていた。

これからご飯炊いたらいったい何時になるんだろう・・・でも朝作ったカレーとカツしか買ってこなかった。。。と思いつつ、玄関を開けて「ただ~(ただいまの略)」と言うと、炊飯器にスイッチが入ってる~!

kekeがご飯を炊いておいてくれたのである。(しかもあと6分で炊けるあんばい)

私は超ビックリして、「ありがとう!」と3回言う。
皿を洗いながら、6分後にはもうカレーが用意できたなんて。

今日はミラクルが3回も起こるなんて。プリンセスレッスンの効果がいよいよ現れはじめたのかも。(*^^*)

そしてそのミラクルは、明日もきっと続くはず。。。

かくいう私は

2012-07-12 | 息子keke
kekeがバイトを始めてから、半月が経った。

しかし、喜んでも生き生きともしておらず、朝になるとあーあ、と言わんばかりの状態で、最近では破けたジーンズを履いている。

もう片方のジーンズもとっくに洗っていつでも履けるのに、破けた方を履いている。
服代も渡したのに、一向に買う気配はない。
それでも、とりあえず約束の時間に家を出て、仕事をしているものと思われる。

後ろ姿を見ながら、また途中でくじけたりしないだろうか、ふと不安はよぎるけれど、もう怯えることもない。

私だって、明日リストラされるかもしれない。
でも、とりあえず今日を生きている。

それと同じぐらいの重さで、kekeの現在が、未来が乗っかっている。
どうなるか分からない人生が乗っかっている。

でも、今の私はどんな暮らしになっても、その時その時小さい喜びをみつけることができるような気がする。

いつかは手離そうと思ってる車だから、毎日感謝して乗っている。
乗れるのは今だから、一生懸命乗っている。

同じように生きているのは今だけし、kekeと暮らしているのも今だけ。
そう思うと、何でもしておこう、見ておこうと思う。


車に乗っていると、これだけの数の車が走っていることを不思議に思う。
ルールを守って、安全運転することで確率を下げることはできても、ゼロにはならない。
誰でもが被害者にも加害者にもなりえるのに、これだけ多くの人が当たり前に乗っていることが不思議と思う。

かくゆう私も今ではほぼ普通に乗っていて、維持費があったらこのまま乗り続けて行ったのだろう。
ある日どうなるかもしれない可能性を乗せたまま、乗り続けて行くんだろう。

真剣に真面目に先のことを考えて、ああなるかもしれない、なんて思っていたら、何もできなくなるんだろう。

しかし、大抵の人がそうではないし、そもそも人生にそれを望むのが無謀なんだと悟った今、無責任に、それなら今日さえ楽しければよいと思うようになったのです。

牛丼屋のカレー(辛さ)

2012-07-11 | 日記
伝票を整理してたら、また飲み屋の領収書や代行の領収書が出てきて、「なんだよ、またみんなで会社の金で飲みに行ってるんじゃん」ちっと思って、「6時になったらトットと帰ろう」と思って時計を見ると、7時である。

えーっ!

大して用も無いのにタダで残業してたの?!
私ってバカバカ。。。><


今日は遅くなってしまったので、何か買って食べる事にした。


今日はkekeの好きな「東京チカラめし」で買って行こう。
メニューパネルの前で1000円札を入れ何にしよう、たまには違うメニューも良いかもとこの日は「ガーリックねぎ牛丼」と言うのに決めた。
そして、自分はオーソドックスなカレーにした。(今回で2回目)

そして帰りながら、kekeの「ガーリック~丼」のガーリックの匂いを覚えながら、「もしかしたらニンニク強過ぎかも、オーソドックスな焼き牛丼の方が喜ぶかもしれない」と頭をよぎった。
なんせ、これはいつものアレより100円高い。
果たしてその価値を見出すことができるのだろうか。

しかしここで買って食べることにより、「ガーリックねぎ牛丼」の経験値は増える。
kekeは味を忘れないので、いつか自分でこの店に来た時に、「フンフンあの時sakeが買ってきたあのガーリック牛丼はこの値段だったのか、それならこれにしよう。」と、その時意思を決めるデータにはなるはずである。

すなわち、今日買った、この選択は間違っていない!

と強く念じながら、そのままローソンに入った。

ポンタカードはこの1年で400近くポイントが貯まっており、最近になってビールに交換しているのである。
お1人様2本までの第3ビールを2本交換して家についた。

そしてkekeに「東京ちからめしで牛丼を買ってきたよ」と言うと、やってきた。
「今日はこれにした」とジャーンと出す。

kekeはさっそく食べると、ウンと言った。
「おいしい?」と言うと、笑った。

ちなみに東京チカラめしのカレー(一番安い奴)は、デミグラスソース風の味付けで私は気に行っている。
ただ、食べているうちにだんだん辛さが増してくる。
前回、初めて食べた時、私は半分あたりで「辛くて食べられない」と言い出し、「もうここのカレーは食べないと思う」と言ったので、kekeが「それでもカレーを買ってきたの?」と驚いていた。

しかし、今日は前回ほど辛く感じなかった。
体調の違いなのだろうか、それとも作っている店員によって辛さが変わるのだろうか。
それとも覚悟を決めて食べると、辛さを乗り越えることができるのだろうか。
詳しいことは分からない。

ちなみに私はココイチでもついつい欲張って「イチカラ」で食べてしまう。
(そして食べ終わってから、「20円払ってまでイチカラにする必要はなかった、辛すぎた」と思う程度の舌感覚なのだ。)

なので、カレーの辛さは

吉野家<松屋<東京チカラめし≦ココイチのイチカラ(最初のUPでは順位を反対に間違えました)

だと思うが、どうだろうか。(あくまでも辛さの順位である。)
吉野家は一度しか食べてないので自信が無いし、すき屋のカレーはまだ食べたことが無い。


kekeは程良く肉を手前に残しつつご飯を食べており、(きっとこれはこれで美味しいんだろうなぁ)と思うが感想も特に訊かなかった。

今までうちらは、もっぱら安いものを追求してきたが、これからは経験値と味覚データを増やすため、ほんのちょっとだけ贅沢をしてみたい。タダ残業も結果的にはおいしいカレーに変わった、とブログには書いておこう。^^;