きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

それだけでうれしい

2013-12-11 | 息子keke
社長とAさんはお客様の忘年会に行ってしまったので、秀クンは早くに帰ってしまった。
他の人も戻ってこなくて、課長と二人で仕事をしていた。

6時は回ってしまったけれど、年賀状を作っていた。
今年お仕事をいただいたお客様には、その完成した写真を入れた年賀状にしているのだ。

nanuさんの現場は写真が撮れなくて、日曜に私が撮りに行った。
高速を使わなかったので片道2時間掛けて行ったのに、デジカメが「蛍光灯」モードになっていて全部青い写真になってしまった。また先週行ってきた。今度は高速を使って朝早く行ったから行き帰りは早かったけれど、日の角度がイマイチだった。

そんな写真を年賀状にしていた。

しばらくすると課長が「あれ?!sakeさん、オレにつきあって残業してるの?」と言うので、「そういうわけでもないんですけど、1人で残るのがイヤなので、誰かが居る時にやっちゃいたいんですよ。」と答えた。

「あと10分ぐらいで帰るよ。」
「そうしましょう。」

二人で玄関の灯りを消して、カギを掛けて帰ろうとする時に「課長の奥さんもお仕事遅いんですか?」と尋ねると、朝は8時から2時までだよと言う。
「そのぐらいに帰れれば夕飯も充分用意できますよね。最近なんかお惣菜買うことが多いですよ。」と言うと、「遅いからね。」と言うので、「旦那さんがいれば、まだ作るかもしれないけれど、子供と二人だとついどうでも良くなっちゃうんです。」と言うと、「うちもそうだよ。子供だけの時は簡単みたいだよ。」と言う。


昨日カレーを作ったのがまだちょっとあるから、いろいろは要らないわ、と思って、スーパーに行くとサーモン巻きが半額で売られていて、ホイホイとカゴに入れ「カレーは明日でいいか」と思って帰ると、kekeが今日はもうこれから寝る、と言う。

床屋に行ってきたらしい。

「明日はハローワークに行く」と言う。
それだけで、とっても幸せな気持になった。

この先のことは何も分からないけれど、それだけで今はうれしい。

家に帰るT男

2013-12-10 | 女だから思ったこと
日曜の夜は、G子から着信がある。

今日もT男と会っていた。
「家に帰っちゃった。」とG子は言う。

「家に帰るのはしょうがないよ。。。」と言うと、「どうしてよ。。」とG子は言う。
そんなに家がいいなら、会いに来なければいいのに、と言う。

「しょうがないよ。」と私は言い、そんな年になって何もかもひっくり返すなんてさぁ、やっぱりできないと思うよ。
でも、何とも思わなかったら、休みの日にわざわざ電車に乗ってこんな遠くまでこないと思うし、よく分からないけどそういうもんなんだろうね、といつもように答えた。

G子は「奥さんいいなぁ。。」と言う。
そんなG子がかわいそうに思って、「でもさ。」と私は言う。

「T男はG子と知り合ううんと前から浮気してるんでしょ?だとしたらもう10年以上そんなことやってるんじゃない?自分の知らない所で10年もそんなことされてて、私だったらイヤかなぁ。。。」
「イヤだよね。」
「ハッキリ浮気してますって言ってくれて、イヤなら別れてくれた方が良くない?」
「そうだよね。」
「別れてくれたら、後はうちらみたいに新しい人と正直に付き合えるのにね。」


そんな話をした。
G子の手前、そういう言い方をしてみたけれど、でも人は人の生き方もあるからな。
「それでも好きな人が毎日家に帰って来てくれて幸せ」だったらそれでいいんだろう。


そして、自分が恋人や旦那に浮気をされたら?と言うことを考えた。
私は前の結婚で、とてもショックを受けて離婚してしまったが、今だったらどうするだろう?

結局、相手が尊敬できるかどうかに掛かって来ると思う。
その相手を長所も欠点も含めて、好きでいられるかどうかに掛かっていると思う。相手が自分を必要としているか、それでも一緒に歩いて行こうと思えるかに掛かっていると思う。

でも、たいていは「自分だけを好きでいてくれる」ところに意義を見出すものだから、そうでなくなった時点で尊敬もできなくなって別れることになるんだろうけど、それでもここは二人でもう一度初めから乗り越えよう、と言う気持になったら、まず相手の方に(できれば二人で)謝罪したい気持は今の自分にはあるよ。
そういう風に思えるようになった自分がいる。

感情にまかせたケンカなんてしないで、別れるか、或いはどうやって二人で乗り越えようかとシンプルに考えた方が前向きではないだろうか。私達はこう言う場合についつい相手の女を怨んでしまうが、こちらが男と仲良くする比重が高まれば、何も手を加えなくても相手は自分の比重は下がることに気づく。むしろ何もしない方が男から見ても見苦しくない。
そこは自分を甘やかせずグッとこらえるところだろう。
(↑と、元夫に不倫の上、家を出て行かれた経験を持つ自分は思うのだった。)

でも、何もしないで「これでいい」と思われるのも困るし、それだけじゃいけないのかな??


前から少し考えていたんだけど、G子に「二人で忘年会しようか」と言った。
G子はとっても驚いて「え!」と言い、私は「でも外だとお金が掛かるから、どっちかの家で。うちでいいよ。」と言うと、G子は「私sakeちゃんの家に行ってもいいの?!」と喜んでいた。

そして簡単なツマミを持って行こう、sakeちゃん嫌いなものはある?とか次から次へといろんなことをしゃべりだすので、「まぁそんなに気を使わなくていいよ。スーパーで適当に買おうよ。」と言った。

「それじゃまた連絡しよう」と電話を切った。

素晴らしい人生

2013-12-09 | 女だから思ったこと
美輪さんの「悩み相談」を読んで、私は自分の失敗した2度の結婚を思い出す。

世間から見たら2度も結婚に失敗して、子供も無職で、どんなに不幸な女だと思うかもしれないが、私は笑っている。
離婚はしたけれど、結婚したかったのは自分だ。
親が出てきて「あんな男はやめろ」と無理矢理別れさせられたら、そこで一生「結婚できなかった」と悔やんでいただろう。失敗はしたけれど、思うように結婚できたことは、本当に幸せだった。

自分に娘がいて、その娘が「こりゃ苦労するだろうな」と言う男を連れてきて、この人と結婚したいと言ったら、反対してもきかなかったら、最終的には応援するしかないだろう。自分の人生を振り返れば、結婚に失敗するよりも、一緒になりたい人と親のせいで一緒になれないことの方が可愛そうだと思うから。


どうして、自分の息子で同じように考えられなかったんだろう。

社会的におちこぼれになる(私で言う2度の離婚)より、自分の好きなように生きられない方がよっぽど不幸ではなかろうか。大学に卒業して安定した企業に入ることより、好きなように生きる方が大切なのではないか?

親が「そんな男はダメだ!」と、親が選んだ人と結婚したら、ちょっと悪いことがあるたびに「自分の選んだ人と結婚したかった」と思ったんじゃないか?


kekeの人生は、kekeが思うように生きて行っていいんだ。
私ができることは、失敗して行き場所が無くなった時に迎え入れることだったんだ。
私の両親がそうだったように。


どうして今までそんな事に気がつかなかったのだろう???

石原加受子さんの本によると、「結果よりプロセスを重視しよう」と言う。
離婚と言う結果の良し悪しにとらわれるより、「好きな人と結婚できた」ことに注目するべきだ。結果に注目してしまうとそこを良くするために頑張ってしまう。自分ひとりが頑張るだけでは済まず家族や恋人にも、そのゴールを目指すことを強要してしまう。

そうではなくてプロセスを重視する。
自分がありのまま、したいように生き、その感覚を大切にしようと言う。

1度の結婚で永遠の愛を継続することが幸せだなんて誰が決めたんだろう。
そういう人がいてもいいし、そうじゃない人がいたって不思議じゃない。
いろんな人生があって、いろんな愛し方があっていい。

結婚と言う形式を大切にしたいとしたら、自分が旦那さんを愛すればいい。
相手からもできれば愛されていたいけれど、強要はできない。
相手は相手の人生や感性がある。だんだん変わっていくこともあるだろう。
ずっと自分を愛してくれて、それが当たり前だなんておこがましくないか?

誰かと結婚することが、誰かにずっと愛されていることが幸せだと思っていることは、相手が自分の思うようにならないと不幸せになってしまう。
自分の幸せは、人が関与しないところで求めたい。
自分の人生を思うように生きてきたかどうか。

好きなように結婚も仕事もやらせてもらってきたことを幸せだと感じよう。
今だって、わりといい。
人は動かせないけれど、自分自身は思うように好きなようにやっている。
満足できる。

同じような人生を、kekeにも送ってほしい。
これからは、応援しよう。

そして、2度の離婚を受け入れてくれた両親に最高に感謝したい。

人生相談

2013-12-08 | 読んだ本
kekeと、そろそろ学校も終わりだねなんて話をしていると、「お金がなくなってきた」と言う。

「ジュースや食べ物はあるのを食べるとして、小遣いは自分で稼いでほしい」と言うと、本人もそのつもりのようである。ただ、今度学校の友達と飲み会があるから、そのお金をほしいと言う。

「友達ができたのか?!」と私は喜んだ。
何人か友達ができて年齢もバラバラなのだと言う。
「そうかそうか、せっかく友達ができたんなら飲み会に行っておいで」とお金を渡す事にした。

ずっと家から外に出なかった時期もあったことを思い出すと、こうして外に出て友達ができるだけで「ありがたい」と思うんだなァ。そうだ、これでいいんだ。
少し家をきれいにしよう、掃除機をかけてくれと頼むと、掛けてくれた。
二人でやると掃除も早い。うれしい。


帰りに図書館に寄り、借りた本を返して書棚にうつった。
美輪明宏の人生相談みたいな本があり、思わず手に取った。

相談の内容を見ると、「息子がひきこもって働かない」と言うお題があり、「美輪さんは何て答えるのだろう?」どれどれとページをめくってみた。

すると、そこには「学校を出て普通に就職するだけが人生ではありません。お宅の息子さんは家で料理や掃除などをするのは好きなようですね。才能がないわけではありません。家にいるのが好きな子もいれば、外に出るのが好きな子も居ます。思わぬ才能が開くかもしれません。外で働けというのはあなたの押し付けです。」と書いてあり、「あのビートたけしも(中退した時は)お母さんは一番手に負えず悩んでいましたよ。」と書いてある。

へぇー、美輪さんは引きこもっている息子に無理矢理「働け」とは言わないのか・・・なるほど・・・他の悩みはどうだろうかと思い、今度は「不倫相手と別れたいのに別れられない」悩み相談のページをめくってみた。
美輪さんは「あなたの人生をとやかく言う権利は私にはありません。しかしそういう相手なので幸せにはなれない事を覚悟しましょう。別れたいのならそれとは別に男の人をさがせば?もっといい人が見つかるかもしれませんよ。」と書いてある。

なるほど・・・・自分の人生を引き受ける覚悟があればあの美輪さんもとやかく言わないのか。

今度行った時またあったら、借りてみようと思いながら車を出した。

西野カナちゃんBEST Love Collection

2013-12-07 | 歌謡曲・カラオケ
新曲「さよなら」がえらく気に入ったので、西野カナちゃんのベストアルバムを借りている。

9月に出たベストアルバムはLove Collection「ミント」バージョンと、同「ピンク」バージョンがあり、それぞれレンタルするのに300円掛かるので、600円も掛かってしまった。
でもいいのだ。後悔はしない。

そして聴いているうちに、カナちゃんの曲は、幾つかの傾向があることに気がついた。

①女子高校生のチアガール風の元気曲。
「Believe」「GO FOR IT!!」のようなポップな元気曲である。年配世代に分かるように言うと、西城秀樹の「Y.M.C.A」ノリである。ただし70年代ではないので、もっとオシャレにアップテンポ。恋に勉強に部活にパワフルに活動している女子高生のパワーを感じるようなハイテンション。
カラオケで歌えば、一同で「イェイ!」「ヘイ!」と掛け声と手拍子で盛り上がるだろうこと間違いなし。

②正当派ラブバラード。
「ALWAYS」「君って」に代表される正当なラブバラードである。
振り返ると私達80年代の恋愛歌謡曲はアイドルノリであった。要するにブリッコしてみたり、或いはツッパッてみたりして、男をちょろっと引っ掛けちゃおうと言うしたたかさがあった。
しかし、カナちゃんの正当ラブバラードはそんなセコイことはしない。「いつもいっしょに居てくれて感謝してる。これからもお互いに歩いていこうね。」みたいな感じで、どこから来てもいいよ、私は変わらずここにいるから、みたいなドデン!と根っこが張ってるたくましさがあるのである。
30年前の男に媚びた20代女子とはスケールの違いを感じさせる。

③女子同士親友編。
「Best Friend」「私たち」のような女子同士の友情を歌う曲。
正直言って、この分野はよく理解できない私である。70年代、80年代では歌謡曲=恋愛であり、恋愛でないものは歌にならなかったのではなかろうか。高田みづえで「女ともだち」と言う歌があったが、あれも結局は友情ではなく、片思いの彼を親友にゆずってしまった残念無念の恋愛歌だ。
何度聴いても、この二つは「彼」ではなく「友達」ようだ。おそらく女子同士である。レズビアンではないのか?大丈夫か?と思うが、歌詞からはきわめて健康的な友情が読み取れる不思議な分野。

④ひたむき切ないほろ苦い恋の歌。
「会いたくて会いたくて」「Maybe」あたりがそうであろうか。大好きな彼に芽生える嫉妬や失恋のイタミを歌にしたひたむき切ない編である。私のようなオバサンは心変わりをして去っていった男なんて「けっ!」と思ってアッカンベーをして終わりなのだが、カナちゃんは「それでももう一度会いたい」と歌うのである。
私はこういう歌詞に弱いのだ。「会いたくて会いたくて」は曲も歌い方も初期のBoAを彷彿させ、これから覚えたい。

kekeに「ヒトカラ行って来ようかな~」と言うと、いつものように「行って来れば」と言うので、「こうやって、ちょこちょこ行って年間でカラオケにどのぐらい金使ってるんだろう?カナちゃんのCDも借りるのに600円掛かって、1回歌いに行くと500円は掛かるからね。」と言うと、「趣味にしては全然安い方だと思う。CDもレンタルだし。」と悟り口調で言われる。

この年になって西野カナちゃんもどうかと思うけれど、私の父も、私がハタチぐらいの時にマッチ(近藤真彦)を歌っていた。
親子でそういうところも似ているのだろうか。

気持を伝えよう

2013-12-07 | 今の会社
秀クンが社長と仕事の話をしていて、「ってことだから。sakeさん!」と言う。
そして話を聞いていなかった私が「?」と言う顔をすると、アハハと上から目線で笑う。

私はこのポーズがキライだった。
なぜなら、彼がこんな横柄な態度をとるのは私に対してだけだからである。
社長の前だから、「自分はできる社員ですよ」アピールなのではないか?とさえ勘ぐりたくなる。(彼の名誉のためにそこまでは思いたくないが。)

昨日もそういうことを言って、「アハハハ、しょうがないなsakeさんは」と言うので、カチン!ときて「私だって、他にやってることがあるんだから。」と小さい声でつぶやいてしまった。

言った後で、ハッとした。
私が彼に対しても、会社の中でも、自分自身でも、こんな風に正直に思ったことを口に出してしまうことは、とても珍しいことだったのだ。

いつも言われたら言い返せなかった。

幼稚園時代にいじめられた時も。
「お前はクラスで一番きらい」と言われた時。

学生時代も友達から誘われると断われなかった。
振り返ると、本当は入りたい部活も、受ける気の無い授業もあったのに。
相手と合わせることが自分の性格だと思ってきた。

逆らう言葉は全部のみこんできた。
「自分だったら、こうはしないのに。」どこかでそんな風に思いながら、そういう現象をいつも受け入れてきたように思う。「何かおかしい」と思っても、相手の態度が強いと自分が悪いような気がしてしまうのである。


だけど、私は言った。
「私だって他にやっていることがあるんだから。」
相手が聞いているかどうか判断せずに、遠くからの会話だけで仕事の指示をするあなたにも問題はありませんか、と私は言いたかったのだ。

そうだ、私は言っていいのだ。
言い方はまだ改良の余地があるが、「私はこんな気持です。」と。

私は(その言い方をされると)ツライです。
私は(その言い方をされると)傷つきます。

ヘレン・ケラーの「ウォーター!」ぐらいの感動だ。

言い方は考える必要がまだあるけれど、私は言っていい。
素直な気持を。
感じる気持を。

それをどう判断するかは相手の問題だ。
私は大切にしよう。
自分の気持を。
生まれた気持を素直に「そうだね」と受け止めよう。

伝えることで、もっとスムーズな新しい関係が生まれるかもしれない。
言葉を飲み込むことで、相手を傷つけないつもりでいたけれど、むしろ、伝えることで心から仲良くできるかもしれない。

だから、これからは伝えよう。
自分の気持を。

夜風が冷たい12月の夜

2013-12-06 | 巷の話題
昨日は会社では社員の年末調整の計算をしていた。

今は無料テンプレートがあるので、だいぶ手間ははぶけているが、うちの会社は皆、生命保険や住宅控除の紙を持ってくるだけなので、私が全部書いたり合計を計算したりしている。彼らは用紙の右上に名前を住所を書くぐらいである。

毎年、これをしていると、自分がいかに給料が少ないかが分かる。
月々の給料ではあまり実感しないが(感覚がマヒしている)、年収になると200万も300万400万も違うのである。みんなお金持ちだなァと感心する。

そして、ガッツリ保険にも入っている。
生命保険、医療保険、エトセトラ。
金が無いだの、小遣いが無いだの言うのなら、入ってる保険を解約すればいいのにと他人ながらに思う。いや、解約しなくてもいいのだが、こんなに月々2万~4万も払って、「金が無い」はないようなぁ、と思ってしまう。正確には「こんなに保険に入っているから金が無い」のではなかろうか。

私は保険に払う金が無いのである。
ついでに月に4000円払わねばならない新聞もとっていない。
初診料+薬代で3000円取られるので風邪ぐらいでは医者も極力行かないようにしている。
少なくてもこいつらより、私の方が金が無いのではないだろうか、と思う。

こんな私もさすがに医療共済は入っている。
大きな病気で長期入院した時に備えて入った。何年か前にがん特約もつけた。(←安い掛け捨て保険)

でも生命保険は要らない。
私が死んだら、kekeが自分で食って行くしかない。
ここまでは逃げ切った。

月に何万も払う保険なのだから、彼らのは掛け捨てではなくガッツリ貯蓄できるようなものなのだろう。それで老後はウハウハ遊んだり旅行したりするんだろうな。


夜風が冷たい12月の初旬である。


昨日は真央ちゃんの素晴らしい演技をみた後に、そのままその局の夜のニュースを見た。

「秘密保護法案」というものが可決されたそうで、映像はマイクがへし折られた画面から始まる。野党の方々が「力で強硬に可決された」と憤慨する場面が次々映り、その後には法案に反対するデモの人のインタビューである。

新聞をとっていないので詳しいことは分からないが、テロップを見ると「スパイ防止」「テロ防止」とのことである。
だとしたら、必要な法律のように思う。日本は今、情報がダダモレ状態、こんなにロビー活動が自由な先進国はないと聞いたことがあるからだ。

法案に反対する人のインタビューは何人も流れているが、法案に賛成する人のインタビューはない。これだけを見ると、「法案に反対」が正しいように見えてしまう映像だよなぁと思ってTVを消して寝ることにした。

日本人であることを誇りに思う私は、日本の国がずっとこのまま続いていきますようにと願うばかりである。

育児ロボット

2013-12-05 | 今の会社
社長が帰ってしまって、秀クンと二人になった。

私はマグカップを洗った手を拭きながら「今日の夕飯何にしようかなァ」と言って、「昨日は何でしたか?」と訊いてみた。
秀クンは2~3分考えて「忘れた。」と言い、まともに食べてないからね、と言う。

「まともに食べてないんですか?」
「(子供が)じっとしてなくて、それどころじゃないよ。」

秀クンは「こうだからね」と言い、バンバンバン!と周りを叩く真似をした。

「昨日はしばらく泣かせておいたよ。」と言う。
「そういうこともありますよ。」と私も言う。


私もかつて、一度だけどうしてもkekeが泣きやまず放ったらかしておいたことがあった。罪悪感があったようで、23年経った今でも、そのことをはっきり覚えている。
あの時は疲れていて、いやあの時に限らずあの頃はいつも年中疲労していて、その日はもうなす術がなかったのだ。言い訳がましいが、元夫が出勤する日はほとんど真夜中になっていて、いつもいつも二人きりであった。

そして、私は「放っておける自分をみつけた」ことで、やっとそこから逃れられたような気がしていた。
kekeのことが大好きだったのに、だからこそしんどかったのだろうか。完璧に育てようとすればするほど、育児書からどんどん遠ざかっていく現実の海の底にもぐらされていた。
今振り返るとまるでロボットになったような毎日だった。kekeが寝ている時だけが、水面から顔を出して呼吸できていた。

そして、翌日同じアパートのお母さんから、「昨日はずいぶんkeke君泣いてたね」と言われて、非常に反省したのだった。



「さっきも電話があったよ。」
と秀クンは言い、「まだ仕事中なのに、【ぐずるから帰って来て】だってさ。」と言う。

「いいですね、言えば帰って来てくれる旦那さんがいて。」
と褒めているのか、イヤミなのか分からないひとり親感想をもらして、「そういう時に誰かそばにいるだけで違うんですよ。」と言った。

そして、「生きていればいいんですよ。」と言った。


「それじゃ、帰ろうかな」
と秀クンが言うので、私も帰ることにした。


秀クンの話を聞いて23年前を思い出し、もしも孫が生まれたらやっぱり面倒をみるようになるのかなぁ、でも今さらできるのかなァ、なんてことをボンヤリ考えた。

「もうムリ!」しんどい毎日を変える41のヒント/石原加受子さん

2013-12-04 | 読んだ本

「もうムリ!」しんどい毎日を変える41のヒント/石原加受子さん

久しぶりに本を注文した。(今年の4月19日から半年ぶりだ。)

図書館で読んだ本の中で「これはしばらく手元におきたいな」と思うものは近くの本屋で注文する。
日頃立ち読みやブラブラさせてもらっているお礼のつもりである。

最近、この石原加受子さんにはまっている。

去年は上原愛加さんにはまっていたが、書いてあることは似ている。
「もっと自分を大切にしましょう。」
「心がイヤがっていることをムリにしなくてもいいんですよ。」

石原さんによると「自分中心心理学」と名前がついている。
最近、他人中心に生きている人が多いと言う。
人と比較して自分をはかってしまったり、負けないように頑張ってしまったり、人から自分がどう見られているとか、そういうことで無駄に疲労してしまい、「厳しい辛い人生」をわざわざ選択してしまっているそうだ。

そんな必要はないんですよ。
あなたは、素直に今のあなたのままで素晴らしいんです。
そんなあなたを自分が一番信じて愛してあげてください。
自分の心やからだが求めていることをしてあげてください。
そんなイメージである。

上原さんの本は↑こういう内容が乙女チックの魔法のように書かれているが、石原さんの場合は、心理学的に「こういう風な考え方をしていくと楽ですよ。」と言う書き方になっている。
でも、書いてあることはとても近い内容である。

それとは別に、からだの免疫力を高めたいと考えて(医者に行く金を少しでも減らすためだ)、免疫力の本も時々借りているが、必ず書いてあることは「ストレスをなくすこと」だそうである。
それから体を温めること。お風呂にゆっくり入ることはとてもよいことだそうだ。
充分に寝ること。

「ストレスをなくす」というのは、心がからだが求めていることに素直に従うことではないだろうか。
食べたいものを食べる。
会いたい人に会う。
したいことをしてみる。

ダイエットしなきゃと思って食べない。
断われずに人と付き合う。
やらなきゃならないことがあるから、やりたいことがあっても我慢する。
  ↑
 現代人の特長だと思いませんか?

私がこれから休日に「何もしない」時間をあえて作ろうかと思っている。
何もしなくていい時間である。
何もせずに大の字になって、ゴロンと横たわる時間である。

そういう余裕を作って、心とからだの声をきいてみる。
自然に自分の心が向かう所をたしかめる。


話は脱線してしまったが、関心ある方はぜひ借りてみてください。
この本はどこからでも読み始められて、石原さん初心者には入りやすい本だと思います。^^

これからどうする

2013-12-03 | 息子keke
kekeの講習ももうじき終わりだ。

いったいこれから何をするのだろう。
私はまたうかつにも「これからどうするのかい」と尋ねてしまった。

いつもこのパターンである。
自分が絶え間なく不安なのである。
その不安を息子にぶつけてしまうのが、私の悪い癖なのだ。

今、分かってきたことは、それ以上に息子自身が不安なはずである。
私は今までずっと、それを煽っている。

分かってはいるけれど、いったいこれからどうなるのだろう。


また酒の席になれば言われるだろう。
「息子はどうしてるんだ?」攻撃。

「今、バイトしたり勉強したりしてますよ。」と言えば「まだ働いてないのか」「働けって言わないのか過保護だな」「子離れができてないんだろう」「母子家庭だから」エトセトラ。
あの攻撃からどうやって身を守るか考えなければならない。

でももっと辛いのはkekeなのだろう。

だから耐える。
耐えるしかないのである。


不謹慎だと思うが、中学や高校での引きこもりが羨ましい。
学校の先生も一緒に考えてくれるし、卒業できなかった子供の話を私は聞いたことがないから。

働くには、雇ってくれる人がいなければならない。
マラソンみたいに自分1人の行動だけで100%ゴールにつくものではない。
だから思う通りにはいかなくて傷つく。
誰も味方はいないような気がして。
社会に出るのが怖い、人間に関わるのが怖い、そういう気持になるのもおかしくない。
それも自分を守る1つの方法だと思う。

そこさえも脅かされたら、もう生きていけなくなることもあるかもしれない。
自分を守るたった一つの場所が脅かされたら。

だから守る。
私が。。。


二度も離婚した私を受け入れた両親はどんな気持だったのだろう。
今になって考える。
もう答えは訊けないけれど。