きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

忘年会

2013-12-02 | 今の会社
先週、nanuさんがあーあ、と言って飲みに行きたい、(仲間内で)忘年会をしようと言う。
つい条件反射で「幾らお金掛かるんですか?」と訊くと、3,000円ぐらいで飲めるだろう、それだったらお前も払えるだろうと言う。

そう言えば今年の、年に一度の、仲間内(のはず)の飲み会で、誘われなかったのを思い出した。

その時はnanuさんがどうやら幹事だったようである。
「そろそろあの(飲み会の)時期だなァ」と言うので、私はハァ、と言うと、「お前はもうどうでもいいのか?」と言うので、ハァ、だって4,000円高いんだもの、と言うと、そのまま会話は終わった。

そして数日後・・・・

会社にプルプル電話が鳴るのでとってみると、北澤からであった。
「sakeさん、来なきゃダメっすよ。。。」
「何のこと?」
「2月の飲み会ですよ。」
「え~~~!いつの間に?@@」
「来年はちゃんと来てくださいよ・・・YKさんも楽しみにしてたんですからね。。。」
と言って電話はガチャンと切れた。

私はその後Aさんに言うと「オレも仕事で行けないと思ったんだけど思ったより早く終わって、あとから駆けつけたんだよ、sakeさんは?と訊いたら欠席になってたよ。」と言うので、知らなかったもん知らなかったもん、いつどこでやるのかも何にも、そもそもAさんが行くんだったら、私も行くのにエーン、ずるいずるいブースカブースカ言ったことがあったのだった。

なんてこった。
4,000円高いんだもの・・・と言ったら、「じゃあ、オレ達でsakeさんの分までお金を出そう!」と言う発想にはならず、「sakeさん、お金がないみたいだから誘うの止めよう」ってなってしまうなんて。。。クスンクスン。

言いたくはないが、1人だいたい500円出してくれれば、私の分は浮くのに。。。
そこまで行かなくても、1人250円余計に出してくれれば、私は半額で済むのに。。。。
そこまで私が大きな声で言わなければこの人達は分からないのだろうか。。。


そして、私は飲み会の状況を思い出す。
最初はまだ近況などを語り合っているのだが、酒もいい加減に回ると、そろそろネタが尽きるのである。
そうなるとどうするか。
彼ら(一応Aさんは除く)は何故か下ネタに走って笑いを取ろうとするのである。

それも、この後参考になるようなもの(?)ではなく、「うちのカミサンは毎晩迫って困る」だの「オレはもう何年チョメチョメしていない」とか、そんな話なのである。その後は過去の栄光の武勇伝。誰の後ろに水子がいるとかいないとかそういう話。

こいつらは毎年毎年飽きないのか・・・と思い続けてきたが、いつも行く飲み屋のお姉さまはこう言う話題にウケてくれるので、きっと私も喜ぶと思っているのかもしれない。残念ながらこっちは諦めはてて哀しい愛想笑いをしているだけである。
しかも近年はもう無表情で聞こえないフリさえかましている。

飲み屋のお姉さんは、お金がもらえるから喜んでいるフリをしているのだ。
それを私は自分の財布からわざわざお金を払って、同じことをしているのである。
それを思うと「ハァ。」となる。


私は最後の抵抗を試みてnanuさんに「新婚さんなのに外に飲みに行くんですか?」と尋ねると、今カミさんはお腹に子供がいるから飲めないんだ、だから飲みに行くとイヤな顔をする、だけど忘年会と言う名目だったら許してくれる、そうである。

カップルの愚痴なんて私には都合のいいノロケにしか聞こえず、またまた「ハァ、そうでざーますか。」と言う気分にさせてくれる。でも、誘われないのも淋しくなるので、耳に入ったら3,000円出して行ってみようと思う。

同じだけ代金を払わされるのだから、今年は「ワタシ下ネタきらい」と場をしらけさせるように言ってみよう。


・・・と軽く誓ってみる。

まるで南の島

2013-12-01 | 父の記録と母の思い出
昨日は父の病院に行くともう食事は始まっていて、介護士さんが「今日はよくお口が開いてますよ」と言う。

ほんとにその通りでパクパク食べている。
食事はおかずもご飯もおかゆみたいになったけれど、食欲は旺盛だ。
今日はクリームシチューだったらしい。
(形が崩れているが、匂いがそれっぽい。)

外の景色はもう秋が過ぎて冬になろうとしている。
ここに通ってから、秋が冬が何回巡ってきたのだろう。
桜が咲いている季節もあったっけ。

父の部屋に掛かっていた港の絵。

最初は元気で、目は見えなかったけれど「sakeだよ」と言うと、それが娘だと分かっていた頃。
隣にいるシアワセばあさんと笑っていた頃。
賽銭箱の歌を歌っていた頃。

そう思わなかったけれど、あの頃は元気だった。
そんなことを思い出す。

食事に2時間掛かっていた頃は「もうだんだん食べることができなくなりここからフェイドアウトか。。。」と言う思いがよぎったが、また今日の顔を見ると元気そうである。

食欲がいいと「食べられるうちにおかずやご飯をなるべく食べさせたい」と思って、ついついお茶を後回しにしてしまい、咳き込ませてしまった。
そして、その時だけ目を開ける様子がカメさんみたいである。

人間なんて偉そうにしているけれど、生き物の中の一部に過ぎないのだなぁ、なんてことを考えてしまうのは、こんな時である。
生き物として何もできないまま生まれて、何もできなくなって死んでいく。

いったい、生きている間に人は何ができるのだろう。
器が大きな人達は、生きているうちにいろんな事業や名誉な事を残すことができるのだろう。
私はとてもそんな、後に残すことはできない。
死んでしまえば、もうあとは灰になるだけだが、好きなようにはやらせてもらった。

大学も行かせてもらえて、結婚も好きにさせてもらえて(しかも2回も)、その後も恋愛ができたり、いろんなことをさせてもらえた。
今で言えば、旦那が居ないお陰で家事をしなくて済み、その分本を読んだりドライブができた。
日本人の女として生まれて、こんなに自分の思うままに生き、自由に時間が使えた人はもしかしたら珍しいかもしれないぞ。

父に食事を与えているうちに、自分の今が「旬」のような気がしてきた。

平日会社に行ってそれなりに頼りにしてもらえて、土曜は父の所に行く。
夕飯は子供と一緒に食べることができる。
休みは好き勝手に本を読んだりドライブしたりできる(ほど元気)。

心だけはまるで南の島にいるようである。
純粋に「こっちに行きたい!」と思った瞬間にいつもパタパタ飛んでいったからだろうか。

こうしてその瞬間その瞬間好きに生きていくのも悪いもんじゃないな。
そのうち死ぬんだろうけど、悔いはないように思う。