きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

某有名デパートにて

2013-12-22 | 日記
今日ははじめて某有名デパートに行ってみた。
お友達にプレゼントを贈るためである。
 
下調べをして「どうせなら、こちらでしか買えないものにしよう」なんて思いつつ、気合を入れて開店時間に合うように家を出た。
途中で電話が入ってしまい1度電車を降りたので少々遅れてしまったが、ほぼ10時ちょっと過ぎに到着する。
ご案内カウンターに何人かお姉さんがいるので、「○○屋」はどこですか?と言うと、そのつきあたりですと言われ、どれどれと行ってみると、既に長い列(ざっと30組ぐらい並んでいるように思う)ができている。

客がすいているようだったら、クリスマスカードでも先に買おうかなと思ったけれど、もう列に並んでおこうみたいな感じである。最後尾の親子連れに念のため「これは○○屋の列ですか?」と尋ねると、「たぶんそうだと思いますよ。」と親子で答える。

「実は名古屋からこちらに来たんですよ。」
「私達、初めてなんです。」
と言うので、私も「私も初めてなんです、10時に来てもうこんなに並んでいるなんて」と(なんて気さくな方たちなんだろう思いながら話していると、店のお姉さんが「配送希望の方はいらっしゃいますか~」と言うので、手を挙げると、「配送だけですか?」と言われるので「そうです」と言うと、それではこちらにと別の窓口を案内された。

「こちらで宅配伝票を書いてください」と言うので言われた通りに書き、配送コーナーの列に並ぶ。こちらでも2~3人並んでおるが、2~3人なので間も無く順番が回ってきて伝票をお金を払っておしまい。

せっかくなので、店内でも見ようと思うが、他のお店はまだそこまで並んでは居ない様子。
おいしそうなお菓子をあれこれ見ながら2階でも上がってみようかと、エスカレーターに登ると上は有名メーカーの化粧品コーナーである。
いかにも高級そうでまぶしくて圧倒され、グルグルなんだか「まったくお呼びでない!」ようなムードがただよい、しかも私が今ほしいのは、高くても1000円台までの下地クリーム・・・そんなものは売っていそうになく、時間を確認すると今だったら、まだ父の食事に間に合う時間。

「せっかくここまで来たのだから、もっとゆっくりして見ておいでよ」と言う天使の声と、「これ以上ここにいることに意味が無いだろ」と言う現実の声が入り混じり、父の食事に間に合う時間なのも何かの縁・・・トトトトとエスカレーターを降りて、駅に向うことにした。
来ようと思えばいつだって来れるんだから。

あーなんかちょっともったいない気分で、しかし今日は素晴らしくよい天気だ。
なんてきれいな冬の空なんだろう。

3連休、年末年始のムードが始まる。

人生いろいろ

2013-12-21 | 歌謡曲・カラオケ
昨日たまたまTVをつけていたら、島倉千代子さんのドキュメンンタリーであった。

南こうせつさんが作った曲を歌うのが楽しみで、しかし自分の体の具合からレコーディングまで間に合わないと思い、お願いしてレコーディングの日を早めてベッドの脇に機材を用意してもらい歌ったそうである。
それが亡くなる3日前だったそうだ。

もうちょっと前から見たかったなぁ~

・・・と思ったら、我が家にTV欄と言うものが無いことに気がついた。
本屋に行けばそういう雑誌があるから買えばいいのかもしれない。
ネットだって調べれば番組表ぐらいあるだろう。

しかし、見たい番組が晩ご飯や他の用意に追われて見られないと悔しいので、番組表をあえて見ない。録画もしようと思えばできるのだろうけどやり方を知らない。覚える気がない。何故ならそれを見る時間をまたどこかで取らないとならないから。
だからいつも行き当たりバッタリで、面白そうな番組も最後の方にチョロっと見ておしまい。

どうも消化不足のような気がして、島倉さんをwikiでググってみた。
噂には聞いていたが、借金や離婚で苦労された方のようだ。でもとても素直でステキな方だと思った。
 
フンフン・・・もっといろいろ知りたいと思うがそれはさておき、何と言っても私の記憶では「人生いろいろ」である。
この歌は私の20代もっとも青春花盛りの頃にヒットした曲である。

20代の私は背伸びしたくてしょうがない年頃で、お酒もいっぱい飲みたくてしょうがなくて、カラオケでも背伸びしたくて基本は中森明菜だったのだが、テレサ・テンとか高橋真梨子とか、ちょっと大人びた歌に手を伸ばしたくてしょうがなかった年頃であった。

そして私もこの「人生いろいろ」に挑戦してみるのである。
まだ20代そこそこで♪人生いろいろ、男もいろいろ♪なんて訳の分からないまま気取って歌っていたのである。

当時島倉さんは何歳だったのだろう?と思ってみたら、今の私の頃とドンピシャのようである。

うーん。
今の私は果たして「ねぇ滑稽でしょ、若い頃」なんて歌うことができるのだろうか。
今現在も悩みに溺れて、今現在もまだ滑稽のままじゃないか。
恐れ入る。

なんて私はガキなんだろう。
島倉さんのあの全てをくくったような感じにはとてもなれない。
しかし見習いたい。

今度島倉さんの半生をさらに知りたいと思いつつ今日は終わる。
そうさ、男もいろいろ、女もいろいろ精一杯咲き乱れるのさ。
そんな風に思いつつ。。。

新しいアイホン

2013-12-20 | 今の会社
nanuさんは最近スマホを新しいのにした。
ここ数週間の話である。
事情はよく分からないが、昔のデータを写してない、まっさらな状態から使っているので、相手先の携帯を何も登録していない。なので、いつも「誰それの携帯何番だっけ~」と私は訊かれて答えている。

今日は帰り間際、nanuさんがああだこうだ言いながらそのスマホをいじっていた。
耳を傾けてみると、電話ができなくなったと言うのである。

「ドコモショップに行って相談してみたらどうでしょう?」と尋ねると、これはドコモのではない、ソフトバンクのアイホンだ」、と言う。
私はその時点で訳が分からない。
何故、ソフトバンクのアイホンの使用料が、docomoの請求書でお金が落ちるのか。その時点で訳が分からないのだが、nanuさん曰く「こっちの方が処理が早いと評判だった。」と言う。

それが「電話がさっぱりできなくなった」と言うので、試しに会社の電話から掛けてみた。すると、ずっと話し中のままである。ほんとにそうですね、と言いながら自分の仕事をしていると、ああだこうだこれじゃ使えない、と言う。

ほんとに会社のスマホの電話ができなくなったら超最悪。心中お察しするに余りありますみたいな気持で、私もそろそろ帰る時間だけど、何故だか協力したくなった。

nanuさんはネットで解決法をググっており、「ここにある3つの方法を試してみたができない。最後に残された方法は、初期化することだ。」と言う。

「つい最近買ったばかりのスマホ(正確にはアイホン)ですから初期化してしまいましょう。」
「それしかないな。」

まずはデータのバックアップだ、と言い、オレ車にある鍵を取ってくるから、お前もう帰るだろう?と言うので、そうですねと言う。
そして戻ってきたnanuさんが見つめる中、しばらくしてバックアップが終わったので、それでは初期化だ、と言うことになったが、またできないできないと言っている。

「どうしてできないんですか?」と尋ねると、ネットにつながらないと初期化できないと言う。
「そんな?!私の携帯にはリセットする所がありますが、それが無いんですか?」と言うと、それはあるらしいが、ネットにつながらないとそれが機能しないそうである。
 
「本体だけでリセットする方法はないんでしょうかねぇ」と言いながら検索してみたりするが、どうもうまくいかなかったようだ。

「買ったお店で相談できないんでしょうか。」と言うと「明日ドコモショップに行ってみる」と言う。

という事は、docomoのお店でソフトバンクのアイホンを購入したのだろうか?
ますます訳が分からない。
今日の朝は会社に掛かってくる電話も多くなるだろう。。。

よく分からないけど、パソコンで言うと「凍っちゃった」みたいな感じなのかな?
新しくて便利な文明器具も大変なもんだ。

Dr.明橋の生きるのが楽になるたったひとつの言葉/明橋 大二さん

2013-12-19 | 読んだ本
Dr.明橋の生きるのが楽になるたったひとつの言葉


ずいぶん前に図書館で「子育てハッピーアドバイス」という本を読んだ。

「赤ちゃんを優しい気持で育てましょう、そんなに肩ひじ張らないで気持を楽に育てていいんですよ。お母さんも心のゆとりを持ちましょう、大丈夫です。」
そんな内容が漫画とともに描かれていて、「こんな本が20年前にあったら悩まなかったかもしれない。もっと優しく子育てができたのではなかろうか。」と思ったものである。

その人Dr.明橋さんが、今度は大人の女性向けに書いた本である。

印象深かったのは「自己肯定感」と言う概念である。

自分を肯定できるあたたかい、しっかりした幹のようなもの。
これが適切な時期に育てられていないと、自分が大人になったり親になっても不安ながらに生きて行くようになり、子供を育てるにしても影響が出てしまうと言うことである。

ひとことで言えば「欠点を持っているありのままの自分でいいんだよ。」と言う概念だそうだ。
親から「ありのままのあなたが好き」と育てられた子はその幹がしっかり育つそうである。しかし自分が頑張って結果を出さないと親から認められなかった子供は、常に頑張ることに振り回されてしまう。そして、同じように頑張ることを子供にも求めてしまうのだそうだ。

頑張らないと受け入れてもらえない。
そういう風に育てられてきたので、頑張らない子供を受け入れることができないのだ。

まずは「自己肯定感」を育てましょう、と言う本である。
ありのまま、このままの自分を好きになりましょう。
いっぱい自分にほめ言葉を与えてあげましょう。
そのように書いてある。
 
この本を読んで、我が身を振り返り、うちら親子はこの「自己肯定感」というものが足りないことに気がついた。

今の生活を修行をしよう。
本当はもっと早く20代の時期にこれに気がつけば良かったのだが、残念ながらもう親から無償の愛情を求めることはできない。連れ合いもいないし、残念ながら私自身はもう欠点を含めたありのままの自分を受け入れてくれる人はいそうにない。そこまで余裕がある人なんて身近にはいない。

でも、自分が愛情を与えることはできるかもしれない。
自分が得られていないものを子供に与えることは簡単ではないけれどできるかもしれない。

いっけん怠けているように見えるkekeであるが、自己肯定感が少ない人は生きているだけでエネルギーを消耗しているという。自分の存在感が無いから、生きているだけで大変なのだ。

そう言われてみれば、kekeも年中死んでしまいたいとよく言っている。
生きているだけで大変なのである。
これが今の課題だと思って、そんな我が息子を愛することを考えてみよう。
いや、「愛する」ことはたぶんムリかもしれない。
愛されることを知らない自分が、人を愛することなんてだいそれたことができるだろうか。

でも、「受け入れる」ことは努力すればできるはず。
ここから始めてみよう。

ちっとも生きていたくない自分、しょうのない自分も全て受け入れてみよう。
そして今のkekeを受け入れることを、(ここは頑張って)してみよう。

年賀状あと4枚

2013-12-17 | 今の会社
昼休みから年賀状をプリントすることにした。
インクジェットのプリンターの方が去年から具合が悪いので、複合機で印刷することにした。

1枚目がうまくできたので、続いて20枚ほど連続してプリントすることにした。
何気にできあがったハガキを見てみると、なんと!全部インクで汚れている。
どうやらインクがうまくくっついていないようなのだ。

黒っぽい写真がまずいのか?と思い、変えたりいろいろやってみたが、やればやるほど汚れたはがきが増えるばかり。(1枚5円で取り替えてもらえるのを知っているので冷静を保っているが、いったいどう言うことなのだろう?)

我ながらため息が出てしまう。あーとかうーとか言いながら、どうにもならないので、不安ながらにやや問題のあるインクジェットのプリンターで1枚ためしに印刷してみた。すると、きれいに印刷できた。
「あ、こっちでもできそう」と思い次々プリントしてみると思いの通り上手に印刷してくれた。何枚も。

「それじゃ、さっき汚れた分のハガキを交換してもらいましょう」と郵便局まで行き、インクジェット用のハガキにわざわざ交換してもらってプリントすると、どうしたことだろう。急に調子が悪くなり、またいつもの悪いクセ(途中でカックンカックン言い出して、ナナメにずれる)が現れた。
取り替えたハガキはみるみるうちに途中からナナメになり、とても喜ばしい1年を飾るような賀状には見えない。

誰に矛先を向けることもできずに、ひたすらウーとかクーとかうなっていると、秀クンが「もうだめでしょそれ」と言い出し、「Aさんに言って社長に相談してもらえば。」などといとも簡単に言う。

彼の言うのはもっともだけど、Aさんだってあれもこれもそんなお願いばかりして良いものか?と言うのは、私は2週間ぐらい前に自分が(会社で)使ってるパソコンが朝、立ち上がらなくなってしまって、幸い何度目かで立ち上がったのだけど、それ以来パソコンの電源を落としていなくて(また立ち上がらないのが怖いから。)それをAさんに、どうかタイミングを見計らって社長に新しいのを相談してください、とお願いしていたので、あれもこれもで迷惑掛けたくなかったのである。

「あとたった4枚だから。」私も意地を張る。
すると、秀クンはアスクルのカタログを見て、あんまり安いのだと使えないからなァなどと言い、「オレはもう家の年賀状あっという間に終わっちゃったよ。」みたいなことも言いながら、こんなのでいいんじゃないの、みたいなことを言う。

その時に課長が「今度の現場の忘年会の案内、もう一度机の上に置いておいて」と言う電話があり、私はあちこち探すが、その案内状のデータが見つからず、会社のデータ全部検索掛けても見つからず、何度も何度もさがしても見つからないので、「どうしても見つからないんです」と言うと、「それじゃオレに送ってくれたメールをプリントアウトしておけばいいよ」と言い、そのメールが送られてきた。

そうだよ!メールで連絡しているから、もともとそんなファイルはどこにもなかったのだっ!
自分のバカ!


いつものように社長が帰ると、途端に秀クンもnanuさんも帰り支度を始め、「もう帰る」「帰るね」と言い、「お前どうしたの?」と言うので、まだ他にもいろいろあるんですよ、と言うと、「じゃ帰るから」「お先に」と言われ、一人事務所に残される。

くっ・・・・・。
誰が悪いわけでもないがなんか虚しい。
どうせなら悲劇のヒロインになってみるべく涙を流そうと試みるが、心が乾ききって1滴も出ない。

家に帰ると、しょう油が切れ、化粧水があと1回分、クレンジングオイルがなくなったことが判明。
kekeがしょう油を買ってきてくれたので、また明日もがんばる。

早起きの月曜日

2013-12-16 | 今の会社
最近、目覚ましを20分早く直した。
(30分だとキツイと思い、20分にしたところがチト情けない。)

なのに、何故か家を出る時間が変わらない。
私の20分はどこに消えたのだろう。
悲しい。
しかもこれから、窓が凍りつく時期になってくる。
割に合わない化粧を塗りながら、kekeに「お風呂のお湯をペットボトルに入れてほしい」と頼んだ。

カバンや制服のブラウスや弁当やらと、えっこらえっこら持って行ったが、今日は窓は凍っていなかった。セーフ。でも、これから凍る。必ず凍る。

この事態をどうすれば良いか。
ビールを断とう。
そうすれば夜のうちにお弁当の下ごしらえができる。。。はず。

などと思いながらも、またまた今日もビールを買うだろう。
断てなくても、週末だけにしようと今日も明日も思い、だから6缶ケースで買わないで、毎日1~2缶づつ買っているのに、また今日も買ってしまうのだろう。
こうして、私は軽い決意をしながら、それを踏み倒して行く毎日なのだった。


月曜なのに、会社の人達のテンションが高い。
いろんな用事を言いつけてくれる。
今日やることをメモしておいたのに、何一つできないまま昼になる。 


今日は会社にお歳暮が届いた。
差出人も見たことが無いところからで、高級おつまみとお酒のセットである。
冷蔵なので、むりやり冷蔵庫に入れようとしたが、箱が大きすぎて入らず、社長に断って中をあけてバラして入れることにした。

高級おつまみなんて万が一食べても味が分からないからどうでもよいけれど、やたらと頑丈でかさばった包装なので、ゴミもかさばる。
おつまみは冷蔵庫の棚に、お酒はドアポケットに入れられた。
ドアポケットには、先週私が飲み残したほうじ茶のペットボトルの残り、今日飲み掛けのストレートティの残り、それから賞味期限が1年以上過ぎてしまった醤油の小さいボトルがだらしなく入っている。
その隣に不格好に入れられたので何だか違和感バリバリである。

社長がほどかれたリボンを見て「あぁ誰だか分かった」と言う。
御礼は電話でするからハガキは要らないと言う。
おそらく高級ブランドだと思われる。

私はたいそう立派なリボンをクルクル巻いて、机にしまった。
何かのプレゼントの時、このリボンでくるもうと思う。

あたかも高級品に見えるかもしれないから。。。

車も自分も

2013-12-15 | 日記
先日、また社長を駅まで送ることになった。

「今日こそは何か話さなくては・・」と思い、そうすると私は子供ネタしか思い浮かばないのだった。
アクセルを踏みながら、「息子が最近学校に行って勉強している」話をした。

社長も自分の息子の話になった。
一番下のお子さんも仕事が決まり、あと2~3年したら夫婦二人暮らしになるだろうと言う。

「それはそれで淋しいですね。」と言うと、「娘達は孫を連れて週に1度は帰ってきている」と言う。なんだかんだでメシをおごらされたり、買い物させられる、女房も面倒だと言っていると言う。

私も同じように、行くたんびに両親にたかっていた口だったのだが、それは棚に上げて、「そうなんですねぇ」等と相づちをうつ。
「娘さんの方が結婚も早いですよね、うちも息子の同級生の女の子はもう結婚しているんです。ビックリですよ。」と言うと、「行けないよりは早い方がな」と言う。

そして社長は、息子達は疲れた疲れたとだらしねぇなと言い、「男は疲れたなんて言うもんじゃない」と言うので、「家族の前で安心しているのでしょう」と言うと、「男はそんなスキを見せるもんじゃない。オレは家でも『疲れた』なんて口にしない。布団で横になった時にあー今日は疲れたとひとり言で言うんだ」と言うので、(結局疲れているじゃん)等とつっこみはしないようにして、そうですねぇとアクセルを踏み続けると、「sake君!赤!」と言われる。

うっかり話に夢中になって、信号を吹っ飛ばす所であった。
助手席に社長がいてくれて良かった。
人を乗せて(まして走りながら)走るのは難しいな。


今日も車に乗ってきたが、車の運転は=「人生」ではないか、と毎回思う。
ピンチの時に救う人が突如現れたり、何の落ち度が無いのに事故に巻き込まれることもある。どしゃ降りの雨で運転がしづらい日もあるし、突然きれいな景色が見えることもある。
周りを見ると、あきらかに煽って意地悪な人もいるし、入れるかなぁと思っていると入れてくれる親切な人もいる。しかし図々しくならなくては列に入れないので、最初の頃の謙虚さに比べると図々しくなってしまった自分もいる。

そして何よりも、今日も無事で家まで帰ってこれて良かったなぁと思う。
車も、自分も。

厚木のトイレ

2013-12-14 | 今の会社
最近、秀クンは会社で暇そうにしている。

彼は忙しい時は「忙しい忙しい」と思って会社に寄りつこうとしないから(そうすると余計な仕事が増えるから)、自分の仕事がひと段落着くと今度は暇になってしまうのだろう。
ついこの前は「忙しい忙しい」と言うので、カレンダー廻りも「お年賀もあるからあまり遠い所は行かなくてもいいんじゃない?」とつい言ってしまったが(本当は私がそんなことを言える立場ではないのだがつい言ってしまったのだ、クソ)、最近は暇そうで、昨日なんか要らない書類を捨てたりしていた。

私自身はまだやらねばならないことがてんこ盛りで、年賀状もまだまだだし、支払いの段取り、資金繰り表11月の伝票もまだだし、年が明けたらすぐ年末調整の書類も出せるようにしたいし、1月の頭に1週間休みがあるのって後がいつも大変なんだっけ・・・あぁ・・・今日ももしかしたら休んでる場合じゃないのかも。。。

なのに、目の前でついこの前まで忙しい忙しいと言っていた彼が、われ先に大掃除の準備をしているなんて。
彼に罪は無いのだがクソ。。。と思ってしまう。(自分の器の小ささか。)


nanuさんがそれを察して秀クンに「厚木PAに行ってくれないか」と頼んでいた。
「お客さんに、厚木PAの新しいトイレのようなトイレにしてほしいと言われたんだけど、オレ行ったことがないからよく分からねぇ、だから見に行ってきてくれ。」

なのに、それを秀クンはそんな所まで行けませんよ、と断わっていた。

私はそれを布団の中でぼんやり思い出し、「nanuさんも忙しくて大変なのだな、私がそれなら日曜日の朝に行って写真でも撮ってこよう、その新しいPAにもドライブしてみたいし。」と思いながら寝た。


そして翌朝、「あさってで良ければ私が行きましょうか」と言うと、nanuさんは喜んでくれた。
「でも、今日(金曜)夕方お客の所に行くからその前に見たいんだよな」と言い、しょうがないから行ってくるか、それかこれから行ってきますと答えようか、と言っていた。
「そうですね、私が行っても写真を撮るポイントがよく分かりませんからね。」

その時に秀クンが帰ってきて、「今日はこれでやることが終わり」等と言っているので、ついにキレ、「だったら厚木PAに行ってトイレの写真を撮ってきてくださいよ!」と私は言う。
そして、カレンダーを取り出し、「まだ○○さん(仮名)の所もカレンダー行ってませんよね、それも行って来てくださいよ!」と渡す。

そしてしぶしぶ(?)行くことになり、nanuさんも「それをラインで4時までに送ってくれ」と言っていた。

今日は図々しいお局様みたいになってしまった。

それとは別に、その厚木PAのトイレとは、他の人聞いた所本当にきれいですよと言う話である。
用事はなくなってしまったが興味津々、さっそく今度行ってみよう。

悲しみは雪のように

2013-12-13 | 女だから思ったこと
楽しいことは悲しいことを連れてくる。
何となくそんな気がしていたけれど、やっぱりそうなんだと思う。

悲しみは雪のようにと言う歌があったけれど
たしかにそんな感じでつもっていくのかもしれない。

何かを言っても困らせるか責めるかしかないなら
私は黙ってる。

楽しいことも悲しいこともずっとは続かない。

いつかは終わってしまうことだと思うから
大切にしよう。
今の私の生活のすべてを。

悲しい時は泣いて
楽しい時は笑って
その時間を精一杯感じながら生きて行こう。


そう思って少し元気になった。
そのうちkekeが仕事がみつかったらいいななんてことや
Aさんが来年も再来年も元気でいられたらいいだろうな、なんてことを考えた。

そんな気持が、たいていのものは吹き飛ばした。
年をとるって、こう言うことだとしたら、すごい。

そしてまた私は元気に歩きだす。



スーパーで偶然、妹と姪のミーちゃんに会った。
妹は風邪をひいて声も出なくて電話出来なかったんだと言う。
もう10日もだよ、何かすごくてね、と言う。
隣で笑っているミーちゃんはバリバリの高校生で、マッシュルームカットがかわいい。

妹は私のスカートとコートを見て、「かわいいの着てるね」と言う。
そして、年甲斐もなく履いてる私のプードレッグを見つめた。

父が施設に入る前は妹が面倒をみてて、それがいつも何となく申し訳なかったので、妹の所に行く時にはあまりオシャレでない格好をしていた。強く意識してはいなかったけれど、古いコートやズボンを選んでいたのだ。
丈の短いスカートなんてはいていたので、妹はちょっと驚いたのかもしれない。

でも、私はトレーナー姿で専業主婦の妹がうらやましいこともある。
例えば夫婦のちょっとした会話、ちょっとしたふざけ合い。
そんなのが、私にはメチャうらやましいことがある。

そんな風に思う自分も許しながら、今の自分を肯定してみる。
専業主婦の妹だっていいし、働いてる自分もいいさ。
旦那さんがいるのもうらやましいし、結婚できない人を好きな自分もいい。

泣きたい時は泣けばいいんだ。
この先だって。

10年経ったらまた笑える。
今ある、どんないろんなことにも。
だから、このまま歩いて行くよ。
もう少し見届けてみるよ。


kekeが昨日はお皿を洗ってくれた。

「残りものには福」ブーム

2013-12-12 | ぶきっちょさんの家事一般
最近、意識的にしているジンクスがある。
それは母がよく口癖にしていた「残りものには福がある」。

晩ご飯で最後まで食べているのはだいたい母親だった。
そして大皿のおかずなどで「あと一口」残っている時に「残りものには福がある!」と言いながら最後の一つを食べていたのだった。


それを思い出してスーパーで「残りものには福がある」作戦をするのがマイブームだ。
ビールなど、コーナーに最後の1本が残っている時に「残りものには福がある!」と率先してそのビールをカゴに入れる。「残りもの」に注目してみると、案外最後の1つが残っていて、それをカゴに入れる機会があったりするのだ。

ハッハッハ!今日は「残りものには福」の貯金がまた一つ増えたぞ!(^◇^)
そんな感じでスーパーを後にする。(もちろん半額見切が買えた場合はさらに満足しながら帰る。)

「残りものには福」の本来の意味とはちょっと違うのかもしれないが、この作戦が最近のマイブームなのである。


それが功を奏したのかどうか定かではないが、うれしいお知らせがあった。

先々月のブログで「悲しいお知らせ」でつづった「スーパーの棚から消えたバラ焼きのたれ」。
あれがなんと!!
また再び、そのスーパーで復活したのである。

「B級グルメコーナー」と言う棚だったので、期間限定商品的扱いであると思われる。
当然私は買い込んだ。
2瓶も買った。

そして、またしばらくすると値段が安くなって置かれていた。
賞味期限が再来年まであるので、さらに幾つか買った。


ここのスーパーの棚から消えてから私はこの「バラ焼きのたれ」をあちこちで探した。
ショッピングモールや、他のスーパーでも探したがどこにも置いてなかった。

久しぶりに偶然会った恋人のようである。(←ちょっとオーバー)