津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

旧主を考える-2 福島正則

2007-08-24 22:52:45 | 歴史
 かって福島正則に仕えたという人が意外に多い。上月文右衛門、尾崎金右衛門、志賀小左衛門、黒田(伊丹)蔵人、富田小左衛門等である。正則については、皆様よくご存知の事であろうから特段の説明は控えようと思う。
さて、我が細川藩士だが・・・・

■上月文右衛門 父親は関が原の武功者豊後守景重、文右衛門は幼少の頃から正則の側近くに仕えた。高麗・関が原陣も勤め、正則の信州転封に際して廣島城城明渡しについての行動を覚書にして残した。(上月文右衛門覚書)又自ら正則の肖像画を画いて、正則の菩提寺京都妙心寺海福院に納めた。正則の配所信州にも赴いたが、正則死去後京都で牢人、平野権兵衛・阮西堂の斡旋により寛永20年(1643)、光尚に召抱えられた。5,000石

■尾藤金左衛門 父親は元讃岐18万石領主の尾藤左衛門尉知宣、秀吉の勘気により領国没収、天正18年(1590)切腹を仰せ付けられた。金左衛門はその二男である。正則改易後森美作に仕えたが、寛永12年(1635)忠利に召し出された。寛永15年(1638)天草島原の乱に於いて亡くなった。細川家の奉公わずか三年であった。左着座3,000石

■志賀小左衛門 サイト「福島家臣団」や、ウキペディアの情報他、細川家家臣志賀家の「先祖附」とに埋め難い差異がある。別途検証して後日に報告したい。

■黒田(伊丹)蔵人 元は黒田孝高の家臣であった。福島家改易後は大阪で牢人、綿孝輯録巻20に「黒田蔵人、抱可申由、得其意候事」という書状が紹介されており元和六年(1620)に仕官したことが分かる。蔵人は豊前時枝城主・時枝平大夫の次男である。夫人は加藤重徳女、後室は米田是政女誅伐された飯河肥後の夫人だった人である。資料は子・次左衛門の代で途切れるが絶家したのであろうか。

■富田小左衛門 「父与兵衛重冬が正則臣」とするのが正確であろうか。与兵衛の夫人が有吉立行女である。与兵衛の男子はそれぞれ有吉を名乗っているが、小左衛門は六男父の姓を継いだ。細川光尚の死去に際し殉死した。

いずれも錚々たる人たちである。さすが旧福島正則臣と思わせるものがある。
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神風連異聞

2007-08-24 13:03:33 | 歴史
 神風連資料館を訪ねると、「鷹眼巨準、瞳光炬の如く、下唇は垂れて頤を掩う」と言われた林桜園の肖像画に出会うことができる。桜園の肖像は数人の筆によるものが残されているらしいが、その一人に斉藤雅方がいる。神風連の「挙」で祖父求三郎は戦死、父熊次郎は自刃した。雅方は三歳であったと言う。後に画家となり桜園の肖像を残した。

 サイト「赤穂義士資料館」の佐藤誠氏から、斉藤久熊(雅方)夫人・醜女と「大菩薩峠」の著者・中里介山との係わりについてご示教をいただいた。後に松尾熊太という方が著した「随筆・大菩薩峠」(1956・春秋社発行)の内、「斉藤醜女のこと」の項数葉のコピーを頂戴した。醜女はその名に反して、中々の美形である。斉藤家が東京にあったときに、ひょんなことから知り合ったらしい。介山は醜女の美しさと、一種権高い性格に惹かれて行った。夫雅方は名を成すような画家とは行かなかったようで、生活も苦しかったらしく、醜女は夫ある身でありながら、介山に援助を受けている。それは介山が亡くなるまで続いたらしい。二人の間がどのようなものであったのかは知る由もないが、介山の想い入れは相当なものであったようだ。「大菩薩峠」年魚市(アイチ)の巻に登場する、銀杏加藤の奥方のモデルであると、松尾熊太氏は解説している。

 雅方の「桜園」の肖像画は荒木精之氏が購入され、資料館に寄贈されたという。荒木氏によると、この画は今一人の画家渕上誠方の画を模した物であるという。
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百日紅の花もゆれて

2007-08-24 09:33:11 | 徒然
 洗面所の窓を開けると、お隣の庭の百日紅が満開状態で目に飛び込んでくる。朝夕にはトンボがとんでいるし、厳しい残暑の中にも季節が移ろっている事を知らされる。熊本には隋兵がんや(寒合)という言葉がある。九月中旬に行われる藤崎八旙宮の秋の例大祭を、別名隋兵祭りと称する事に由来する。加藤清正の凱旋を模したものだろうが、メインは勇壮な馬追いの祭りである。飾り馬の奉納は細川時代の豊前でも行われていた事が文書に見える。今年も高校OBや、企業、町内有志達が連を作り、数十頭(50~60?)奉納されるようだ。お祭りの喧騒が落ち着くと、熊本は一気に秋の気配を増してくる。その頃まで、百日紅は目を楽しませてくれるだろう。外出予定の妻が空を見上げてぶつぶつ恨み節、今日も残暑が厳しそう・・・
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