私の歯は全て自前である。歯医者からは、80位までは自分の歯で食事できますよと、たいこ判を押されている。が実は二三本冠をかぶせているのだが、左上奥歯の冠が知らぬ間にとれてしまった。全く自覚が無い。飲み込んだのだろうか。いろいろ物が詰まるようになり気持ちが悪いので、日に何度も歯を磨く内に、神経を刺激したのか痛みを感じるようになった。日が変わって一時ごろ床についたが、痛くて寝むれない。我慢できなくて起き上がり「正露丸」を詰めてみようと思い立った。薬箱を開けてみると、有るには有ったがカラカラ状態だ。それでも詰め込んで強くかんでみると、正露丸のあの特有な匂いが口いっぱいに広がる。しばらくそのままソファーにひっくり返っていたら、「そうだ今日は流れ星が見えるのではないか」と思い立って外に出てみた。四五分も経たない内に天頂から弱い光の流れ星が短い光跡を描いて消えた。十分ほど空を眺めていたがそれっきりだった。なんだか口の中が痺れている。歯の痛みも薄れていた。気が付くと「正露丸」が無い。・・・又飲み込んでしまったらしい・・・今日も今しばらく寝るのを我慢して流れ星を見ようと思っている。
どうしても読みたいものがあったので、今日も図書館通い。「真実を探る・神風連の変『その時警察は』」という、わりと最近に発行された非買の本である。無念の結末であったろうが目を背けたくなるような現実があった。自刃をして果てた人々は幸せだったのかもしれない。遺体はすぐ遺族の元に返されている。自刃したが身元が判明しない者は、熊本城内の漆畑に集められたが、遺体は腐敗しはじめ異臭を放ったという。ましてや死ぬ事が出来ず捕らえられた人たちの死刑の有様などはとても表現できない。一方では事件の真実を知らしめる為に、生きる事を選択し捕縛された人たちがいる。死ぬも地獄、生きるも地獄である。
遺族の著作や、荒木氏の精力的な努力によつてもたらされた数々の著作、又最近の渡辺京二氏の著作にしろ、その視点は「神風連」にのみ向けられて、彼等によって死傷した多くの人々のことに触れられていない。しかしながら表記の著作は、非常に冷静に対極にあった人たちの立場から編集がなされている。それは多くの地図や写真をつかい両陣の行動や、死後の慰霊の有様をしるしている。私はどちらを贔屓するというものではないが、事件の真実を知る上でよい勉強をしたと思っている。
そろそろ「神風連」から足が洗えるかもしれない。
遺族の著作や、荒木氏の精力的な努力によつてもたらされた数々の著作、又最近の渡辺京二氏の著作にしろ、その視点は「神風連」にのみ向けられて、彼等によって死傷した多くの人々のことに触れられていない。しかしながら表記の著作は、非常に冷静に対極にあった人たちの立場から編集がなされている。それは多くの地図や写真をつかい両陣の行動や、死後の慰霊の有様をしるしている。私はどちらを贔屓するというものではないが、事件の真実を知る上でよい勉強をしたと思っている。
そろそろ「神風連」から足が洗えるかもしれない。