「むごう」とは「無期う」である。古語辞典には登場する言葉で、際限の無い事の意である。「際限なく暑い=ものすごく暑い」という事になる。熊本のお年寄りが良く使う「わあ・いさぎ」とか「わ・いさーぎ」とか言う言葉は、「潔し」から来ている。頭に「わあ」がついた。古語辞典によると「 1、清浄である 2、心がきれいである 3、勇ましい、小気味いい 4、悪びれない」 等とあるが、ニュアンスはお分かりいただけるであろう。熊本に係わらず、言葉の発信地・京を中心とする遠隔地には、このような古い言葉が沢山見受けられる。京に近いところは、言葉も新陳代謝するが、遠隔地では古い言葉が留まって定着した。発音に於いても、「学校」を「ぐぁっこう」と発音したり、「先生」を「せんしぇい」と発音するお年寄りを結構見かける。「とんでもない事」を「とつけみにゃーこつ」と言ったりするが、これはわりと近世の言葉で「とっけもない=取っ付けもない」が変化して定着した。古語辞典は「途方も無い」意だと説明する。なんとも不思議な熊本弁も、古語辞典をひも解くと、その出所は由緒正しい古の言葉につながっている。
熊本藩士の出自をたどると、実に様々なところの人が熊本に集まっている。藩の草創期は「言葉のるつぼ」であったことだろう。熊本の言葉が、どのように交じり合って醸成されて今日のような言葉になったのか、大変興味を持っているのだが、口語で記された文書が無いため一向に分からない。研究者が現れないかと願っているのだが・・・・
熊本藩士の出自をたどると、実に様々なところの人が熊本に集まっている。藩の草創期は「言葉のるつぼ」であったことだろう。熊本の言葉が、どのように交じり合って醸成されて今日のような言葉になったのか、大変興味を持っているのだが、口語で記された文書が無いため一向に分からない。研究者が現れないかと願っているのだが・・・・