今日の早暁一通のメールをいただいた。神風連の志士K氏のご子孫である。その内容は寡婦となられた19歳の奥様の生涯についてである。余りにも美化された彼等の「挙」の、その裏側にある真実の痛ましさに、近頃富に涙腺が弱くなった私は、思わず涙を禁じえなかった。武士の妻たらんと生きるこの女性の生き様は、深い説得力をもってこの挙の悲劇性を物語っている。メールにいみじくも引用された、池辺三山の「(事件の首謀者に)自ら説明せしめても、能く当世の人をして了解せしむるを得べきや否や、疑わしき事の極みなり」という言葉に、わが意を得たりという思いがする。亡き人に対する深い想いは人それぞれであろう。桜山神社における慰霊についても、異を唱えられる遺族を存じ上げている。隠れている真実がある。残されて辛酸の道を歩いた人たちがある。一つの真実を得て沈痛な思いが増すばかりである。
淀城において岩成主税介を、下津権内と共に討ち果たしたのが、築山弥十郎俊方である。父は兵庫介貞俊、その妻は沼田上野介光兼と系図に見える。私が知る限りにおいて、肥後細川家家臣で一番古くから細川家に仕えた家である。弥十郎の五代前、築山保俊が「正平十年三月、細川頼之から松笠菱御紋付之御具足拝領子孫代々家之家紋ニ用候様仰出蒙る」と系図に書き込まれている。保俊の室はどうやら頼之の庶女福(高秋院)であることが、その子重俊の項の書き込みで知ることができる。岩成主税討ち果たしのことを含めて「築山家由緒」に詳しい。