津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

秋の夜長はひたすら読書

2007-11-06 20:10:51 | 書籍・読書
 ある方にご紹介いただいて、注文した本がようやく到来。

 小川眞箸「善左ヱ門柿は消えた--うずもれた丹後の歴史」
  あまのはしだて出版(京都府宮津市)1,500円+税
       www.amanohashidate-pub.com

 著者は京都大学・農学部出身の生物学者(どうもきのこの権威らしい)だが、日置一族のご子孫である。ご出身の中山地区の事や、日置一族、一色氏や田辺籠城における日置善兵衛のことなどに話しは及んで、飽きさせる事はない。今日は一気に読了と参ろう。
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大塚喜兵衛殉死の訳

2007-11-06 15:25:29 | 歴史

 細川忠利に殉死した大塚喜兵衛に係わる記事があるのでご紹介しよう。
                 寛永七年六月「日帳」より
6/8:田川郡木代村之甚右衛門尉子供走候而、筑前之内ニ居候つるか、木代村へ参、いとこノ久左衛門尉を、去ル六日ノ夜打果候而、いずくとも(なく)参由、郡奉行より申来候、仁躰ハ見届不申候へ共、定而、右ノ兄弟(喜兵衛、五郎、仁右衛門)参候而可仕と存由、いのひさ(猪膝)太郎左衛門尉申候由ノ書状ニ候也
6/9:河喜多五郎左衛門尉并猪膝太郎左衛門尉罷出候、木代村之久左衛門尉を打果申候ものハ、いとこの喜兵衛ニ相究候、昨日かの喜兵衛状を調、猪膝太郎左衛門尉ニ立置申候、文躰は久左衛門尉儀ハ親之かたきにて候ゆへ、夜前一刀うらミ申候、乍去、夜中之儀ニ候ニ而候故、果申たる儀ハ不存候、もはや本望ハとげ申候間、然上ハ、御間悪敷国へ参居申候も、公儀を憚さるにて御座候間、ニ三日中ニ其地へ罷越、如何様ニ成共、御意次第ニ可仕とかき候而、文をたて置申候由ニ而、右両人持参被仕候、御年寄衆へ被申候へと、申渡候事
6/22:
■木代村ノ喜兵衛、兄弟三人ともニ被成御赦免、一命扶被下候事
■右喜兵衛ニきられ申七(久)郎右衛門尉せかれ、四つニ成申ニ、喜兵衛親甚右衛門知行其まヽ被下候事
■木代村ノ喜兵衛ニ御知行三百石、弟両人ニ百石宛被為拝領候、左候而御前ニ被 召出、喜兵衛さかつきを 殿様被 召上、御帷子弐つ宛・御肩衣・袴弐下宛被為拝領候、左候而、忝 御意ともヽヽ御前之衆いつれもかんるいをなかし申候事
■右喜兵衛重而被 召出、御腰物壱腰被遣候、左候而、御感状被遣候事

 この忠利の厚情が、殉死の原因である事は間違いない。

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