綿孝輯録と「日帳」を並べて置いて読み比べている。小野武次郎(綿孝輯録・編者)という人の能力の高さをつくづく感じる。「日帳」は、奉行所においてその日の出来事を記録したものだから、生活感に満ち溢れていてそれが大変魅力だと同時に、悲惨な出来事がありのままに書かれていて気持ちを暗くさせる。武次郎は当然この「日帳」にも目を通しているはずだが、大変上手に取捨選択している。藩から逃亡する「走り者」や、人妻と通じたいわゆる「女仇(めがたき)」はほぼ誅伐されている。後に宝暦の改革で、このような死刑制度が改められるわけだが、寛永初期のころにはいまだ戦場を走り回って命のやり取りをする感覚が残っていたのかもしれない。「はたもの」と呼ばれる死刑者を「様斬」したり、自ら刀をふるって新刀の試し斬りをいることが数度にわたり記されている。そのことを詳らかにしたいとも考えたが、そこだけ引っ張り出してしまうと、事が強調されて誤解を招きそうな感じがして思いとどまった。二つの貴重な記録はまさに「光」と「影」といった感じがするが、正史である。