津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

肥後六花

2007-11-20 15:25:55 | 徒然
 10/24当ブログでご紹介した、肥後六花についての記事をご紹介すべく、現在タイピング中。唯今半分完了。花に係わる、肥後侍の異常なまでの取り組みが、大変興味深く紹介されている。日曜日位にはUPしたいと思っている。しばしお待ちください。(急がないと後がつかえていますから)
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忠利の気持ち

2007-11-20 14:57:10 | 歴史
 細川立允、刑部兄弟に対する忠利発言(思い)が興味深い。(綿孝輯録から)

■寛永15年12月5日光利(光尚)江之御書之内
 同名刑部事身上成不申候、迷惑仕付而金子かされ候由、我等分別に相不申候、子之事ニて候へは三齋様御こらし候ハんと思召、迷惑仕様ニ被仰付候ニ、肥後取持候事、却而刑部為如何と存よし、其上其方より銀なと参候由、八代へ聞候ハヽ、弥跡を御詰候事可有之候、又御失念ニ而候事も可有之候、とかく御分別之子細可有之ニ不入儀と存候、我等為にハ弟、其方為ニハおちニて候へハ、悪敷仕ものにて無之候ニ付、弥刑部為如何と案入候

■寛永16年正月6日光利君江被仰進候御書(抜粋)
 (正月四日忠利は八代に三齋を見舞っている)
 同名刑部事中を御たかい候而御誓文にて御直り候ましきとの儀ニ付而、左候へハ人しちニ進上被成候、刑部三齋様と中たかいニ落付候へハ、 公儀へ人しちニ上ケ被置候而も役ニ不立儀ニ候間、立允を替りニ江戸へ可被召連と御老中へ御談合候へハ、尤との被仰様ニ候(以下略)

■寛永16年9月2日光利(光尚)君御自筆之御口上書之控
  八月卅日ニ酒讃岐殿へ私参申候、口上之覚
 立允事越中弟ニ而御座候へども、越中肥後へ罷下候刻、又越中江戸へ罷越候刻計ニ八代より参候まで、ふだんハ八代ニ計居申候故、立允心をも越中ハ不存候故、兄弟之儀ニ御座候得共、大国をも拝領仕、立允かくごをもミとヾけ不申候而、むさと知行なと遣ハけニ而も無御座候、然共為能力三万石遣置申候事

 扶持をまったく与えられず、光利に借金の申し入れをした刑部の経済状況や、三齋との修復不可能な仲違い状況、そして立允が刑部に替わり証人として江戸へ下されるであろう前段の話として、大変興味深い。「仲違い状態の人間を(江戸に)人質として置くのは公儀に対して役に立たない」という認識が大変面白い。
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