津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

津々堂の時事放談

2007-11-04 21:14:49 | 徒然
 小沢一郎の辞任のニュースを聞いて「やっぱり」と思った。次ぎにどう動くかが興味深い。議員を辞職するか、又同志を引き連れ党を割るか。新党で自民と連立などという事にもなりかねない。菅、鳩山の線はありそうにないし、そうすると対自民に於いて力不足は目に見えている。参議院での優位は動かないにしても、老練な自民党の力に振り回されるのではないか。衆議院の選挙でもあれば、勝ちどころの話しでは無くなるかも知れない。良いにしろ悪いにしろ、小沢という政治家は煮ても焼いても食えぬ人ではある。あの手この手を弄して天下を願いながら、労ならずも天寿をまっとうした・・・そんな武将はいなかったかな?明日以降の民主のじたばたぶりが目に浮かぶ。国会の目白押しの難題は、安倍首相の引退に続き、小沢氏引退でまたまた暗礁に乗り上げる。ほくそえんでいる自民の狸どもが目に浮かぶようだ。今日は晩酌も一段と進むのではないか・・・
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松之丸殿御煩経緯

2007-11-04 09:51:53 | 歴史
 松井興長室古保の母・松之丸の御煩いについての経緯の初見は、寛永六年五月十五日の事である。松之丸は三齋側室である。興長は義母の為に梨を求め申し入れしている。天守奉行に命じ、天守にあった梨の木から四つ五つ味のよいものを選び届けられたらしい。十七日には楊梅を望まれ、二十日、二十一日と田川から届けられた。二十二日医師少峯が呼び寄せられる。六月朔日小康状態、江戸への早飛脚の予定を三齋が制止している。四日興長は薬師を呼ぶ為に七たんほの御舟の借り入れを願い出ている。十四日江戸へ病状を知らせる早飛脚が出立。寛永六年六月十九日夜前丑之下刻松之丸逝去、直ちに江戸へ飛脚が発つ。廿四日、興長より「御こほ(古保)殿めし候長ゑの御こし(輿)」の借り入れの申し込み。そして二十九日朝五つ時「御葬礼御座候」とある。そして七月二十一日忌明けと共み興長は登城し職務に復帰している。
 松之丸は郡主馬宗保女であるが、宗保は豊臣秀頼臣、最期まで秀頼の近くにあって大阪城内で戦死している。
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