津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

お昼はうどんですけど・・・

2007-11-08 14:29:03 | 歴史
 寛文五年九月五日、忠利は朝から松平大膳(忠重)からの使者と、その案内役木下右衛門(延俊・日出藩主)の家臣・青野某を振舞っている。木下延俊正室は忠利の伯母・加賀、加賀の子ではないが延俊女が松平忠重に嫁いでいる。そんな関係での道案内であろう。さて「御使者にお昼を御出ししなければ」とて「うどんを銀一匁分調え」たけれど帰られてしまった。さてどうしようという事に成り、同じくお使いで来ておられた、八条宮智仁親王の侍臣・山田将監の所へ少しお届けし、残った分は黒瀬九郎右衛門へ渡したとある。さて問題、銀一匁でうどんは何杯作れるのでしょうか・・・?

 ちなみに五匁銀12枚(60匁)で一両といいますから、一両≒80,000円として、千数百円分ということですか・・・
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細川小倉藩版ボジョレー・ヌーヴォー

2007-11-08 09:32:19 | 歴史
 11月第三木曜日はボジョレー・ヌヴォーの解禁日、今年は11月15日になるようだ。今年のお味はどんなものだろうか。
細川家では、忠利の申しつけで葡萄酒が造られるようになったが、その第一号は寛文六年十月一日上田太郎右衛門尉により弐樽が上げられた。細川小倉藩「日帳」に、葡萄酒製造に関連する記事が見える。向後恒例化していくことが分かる。
■寛永五年九月十五日 上田太郎右衛門ニ、中津郡ニ而ぶどう酒被成御作候
  手伝ニ、御鉄炮友田二郎兵衛与中村源丞遣候、御郡ニ而、がらミ薪ノち
  んとして、五匁・銭五貫文ヲ遣候、又歩之御小性(ママ)赤尾茂兵衛ハ、
  右之さけ作ならひ候へと申付遣、今度ハ江戸へ上田忠蔵被召連候、太郎
  右衛門より忠蔵ニ、作様をしへ遣申候へきとの、御意ニ候、忠蔵煩其外
  之時之ためニ、歩之御小性をしへと候へと、被仰出ニ付、御供番三与ノ
  内より、丈夫成仁を改被出候へと申ニ付き、赤尾茂兵衛をさし上候、則
  申渡し、太郎右衛門所へ遣候事
■寛永六年 上田太郎右衛門登城ニ而被申候ハ、ふたう酒弐樽被仕上候、手
  伝ニハ、竹内与谷口次左衛門尉と申者也、中津郡より今晩持せ来候事
■寛永七年四月七日 上田太郎右衛門所へふとう酒作候手伝ニ松岡久左衛門
  与高嶋九左衛門付候也、芦田與左衛門与中橋孫右衛門付也
■  同日  右酒作候奉行ニ高並権平遣也
■寛永七年四月十四日 歩之小姓海田半兵衛登城にて被申候ハ、今度ぶどう
  酒の御奉行に、高並権平被仰付候へとも、まえかとより拙者仕つけ申候
  ニ付而、歩之頭共より差替申候由にて登城仕候、可然候由、申渡候也
コメント (2)
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