整形外科医にして作家の篠田達明氏の著書「徳川将軍家15代のカルテ」によると、秀忠公の死因はガンだそうな。綿孝輯録に、三齋宛ての忠利の不思議な内容の手紙がある。亡くなる前年の九月廿二日のもので、
相国様は御積二極申候、御むなさきへあかり申をつかまへ候へは、長サ四寸、大サ大根程ニ御座候いきものと見え申候、かしらかたく、上口なかく、下口ミしかく御座候、どうなかをつかミ下をつかまへ候得は、能候而右之通覚候、きつくしめ候へは事外被成御痛候、承候体ハ下々ニ而ハ、きりやぶり取出候事も可成様ニ見え申候、それをとりはなし候得は其まヽわきへ参候、其時事之外被成御迷惑、両之御手もしびれ御気も遠き程ニ御座候由ニ候
なんとも不思議な文章で、何の事やらさっぱり分からない。篠田先生ならこれをどう読み解かれるだろうか。翌年正月廿四日秀忠死去。
その著「モナリザは高脂血症だった」「法王庁の避妊法」などネーミングもなかなか巧みで、ちょっと読んでみようかと思わせる。
相国様は御積二極申候、御むなさきへあかり申をつかまへ候へは、長サ四寸、大サ大根程ニ御座候いきものと見え申候、かしらかたく、上口なかく、下口ミしかく御座候、どうなかをつかミ下をつかまへ候得は、能候而右之通覚候、きつくしめ候へは事外被成御痛候、承候体ハ下々ニ而ハ、きりやぶり取出候事も可成様ニ見え申候、それをとりはなし候得は其まヽわきへ参候、其時事之外被成御迷惑、両之御手もしびれ御気も遠き程ニ御座候由ニ候
なんとも不思議な文章で、何の事やらさっぱり分からない。篠田先生ならこれをどう読み解かれるだろうか。翌年正月廿四日秀忠死去。
その著「モナリザは高脂血症だった」「法王庁の避妊法」などネーミングもなかなか巧みで、ちょっと読んでみようかと思わせる。