津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

綱利正室松平氏

2008-06-08 11:35:13 | 歴史
 綱利の正室本源院(正保元年生~延宝三年二月ニ十日没、年三十二)は、讃岐高松藩松平頼重(水戸頼房・嫡男)の養女である。その実は水戸藩徳川頼房女であり、頼重・光圀の実妹である。水戸徳川家の継嗣問題は非常に複雑である。頼房の跡は三男光圀(二代)が継いだ。光圀は兄・頼重の息綱方・綱条の二人を養子となし、綱条(三代)を継嗣子とした。実子頼常は頼重の養嗣子とした。頼常の孫・宗尭が綱条の養嗣子(四代)となり、水戸徳川の流れとなる。幕末に至り、水戸斉昭(九代)や息・一橋慶喜(十五代将軍)などが出る。

           将軍家
 徳川家康---+--秀忠
         |
         | 尾張
         +--義直
         |
         | 紀伊
         +--頼宣
         |
         |     讃岐高松藩・初代
         |       +---頼重---+--綱方
         |       |        |
         |       |        +--綱条
         |       |        |  二代   三代
         |       |        +==頼常---頼豊---宗尭
         |       |        |
         |       |        +====本源院
         |       |                |
         |       |  細川忠利---光尚---綱利==宣紀---宗孝==重賢---治年    
         | 水戸     |
         +--頼房---+--●光圀---+==綱方
                  |        |
                  |        +--頼常
                  |        |
                  |        +==●綱条---+==●宗尭
                  |
                  +--本源院

 本源院との間に生まれた女子は、菊(松平豊後守頼路室)、光(酒井左衛門尉忠眞室)、松・(西園寺中将婚約中死去)、楊(松平志摩守直丘室)、吉(細川采女正利昌室)等が枝葉を広げた。他の側室の子達五人の出生が、正室本源院の死去(延宝三年・32歳)以降であることを考えると、正室思いの一面が伺えて微笑ましい。その中の男子二人も夭折し、弟細川利重二男を継嗣(宣紀)と決断したのは宝永五年(1708)、隠居するのは正徳二年(1712)、そして正徳四年(1714)十一月十二日死去する。(72歳)
コメント
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