津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

藩校サミット--あと三日

2008-06-18 14:30:24 | 熊本
 今日未明から雨という天気予報は、見事に外れてしまった。気温は32℃を越えているし、湿度も60%となんとも暑苦しい。又明日頃から雨模様のようだ。21日の「藩校サミット」は何とか雨が降らないようにと祈るばかりだ。私の中でトラウマになっている昭和28年の熊本大水害は6月26日だった。それを思うと21日などという日は、梅雨の真っ只中でこれはもう神頼みしかない。
 それにもめげず、沢山の皆様にご参加いただけると信じている。こちらも神頼みである。兎にも角にも盛会裏に終わらせて、次の開催地へ引き継がなければならない。
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細川氏動向--兼見卿記から(3)

2008-06-18 13:51:24 | 歴史
天正二年(欠)
天正三年(1575)
■十一月廿七日:入夜長岡兵部大輔(藤孝)自岐阜上洛、直ニ来(略)
■十二月十八日:(略)依兼約直下向勝龍寺了、於沼田弥七郎長兵面会

天正四年(1576)
■正月九日:(略)入夜長岡兵部大輔来、樹齋同道、及深更相談了
■三月十六日:東寺宗及所ニ長兵(藤孝)滞留也、予約諾之間罷向、参会、及深更
■三月十七日:長兵江州へ下向也、三十三間迄同道(略)
■十月十六日:長兵自安土上洛之次来、重服之間請入神竜院、滞留
■十月十七日:齋了長兵出京
■十月十八日:長兵在京也、罷向(略)
■十月廿七日:(略)直罷向勝龍寺、長兵へユカケ一具、与一郎(忠興)太鼓徽一懸、舎弟頓五郎(興元)小鼓之徽一懸各遣之、古今傳授之内所々不審在条書、日本記神代之巻之内也、注之令持参、今夜夜抑留滞留、入夜乱舞
■十一月三日:(略)長兵来、明日左大将殿御上洛也、為御迎罷出之由也、重服之間一宿
神竜院
■十一月四日:長兵差朝飡、午刻左大将殿為御迎(略)
■(信長内大臣に任ぜらる)
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