津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

藩校サミット・・あと五日

2008-06-16 17:34:08 | 熊本
 「第7回全国藩校サミット全国大会」は「学而創新・仁義礼智信」をスローガンに、平成20年6月21日(土)、熊本市民会館でいよいよ開催される運びとなりました。たくさんの皆様のご出席をお待ちいたしております。

   11:00~歓迎行事
        小岱流斬試・葦北鉄砲隊射撃演舞(熊本城長塀前)
   13:00~サミット(熊本市民会館)  指定席以外入城無料 
        ●記念講演Ⅰ「江戸の徳育と平和教育」
              講師・徳川恒孝氏(徳川記念財団理事長・徳川宗家18代当主)
        ●基調講話 「肥後時習館にみる人材育成」
              講師・堤克彦氏 (文学博士・元菊池高校教諭)
        ●記念講演Ⅱ「秋山玉山の漢詩」
              講師・石川忠久氏 (斯文会理事長・前ニ松学舎学長)
        ●パネルディスカッション「藩校教育を今日に生かす」
              コーディネーター 白石宗靖氏 (漢字文化振興会事務局長)
   19:00~交流会 (ホテル日航熊本) 有料
         詳細については藩校サミット熊本大会実行委員会におたずねください。
                         TEL(096)319-1552

   藩校サミット関連行事
        ・肥後先哲遺墨展(6/17~22 県立美術館分館3F)
        ・徳川恒孝氏著書サイン会(6/21 熊本市民会館)
        ・能楽金春半能「高砂」他(6/21 熊本市民会館)
        ・細川活花肥後宏道流・肥後未生流(6/22 熊本城本丸御殿)
        ・細川流盆石 (6/22 熊本城数奇屋丸 但し・来県者)
        ・永青文庫展 (熊本県立美術館本館・永青文庫展示室)

 
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細川氏動向--兼見卿記から(2)

2008-06-16 16:05:53 | 歴史
元亀三年(1572)
■五月十四日:辰刻信長下向也、今道也、罷出、有路次之傍申礼了、家君へ石成(友通)来、其跡へ
          細兵・三太・弥四郎(三淵秋豪)来了(略)
■五月廿四日:向細兵了
■六月三日:細兵・三太(三淵藤英)・小笠原(貞慶)・清少(舟橋國賢)・徳大寺(公継)殿参了
■九月十四日:向細兵・三太、自江州北部上洛也、今度信長一段之機嫌、對両人懇情之由相談了
■九月十七日:勝龍寺細兵へ以書状・使者、蓮養防(坊)知行分之事申遣了、明十(明智光秀)へ申理
          義也、自三太相添書状了(略)
■九月十八日:伏見へ三太見廻了、直勝龍寺細兵へ罷也、今夜滞留也
■九月十九日:大覺寺門跡、勝龍寺細兵へ御見廻也、有一献之義、予罷出也、今日依抑留逗留了
■十月廿二日:向細兵・三弥(三淵秋豪)、蓮養防知行山門領地、此間明智(光秀)存分也、此儀細
          兵・紹巴(里村)令馳走也、未相済了
■十一月廿五日:(略)午刻依所用向細兵(略)
■十一月廿六日:細兵来、直坂本へ下向也(略)家君堂上之事、以細兵申入武家(足利義昭)御(所脱
          カ)之処、御許容也、然間去十五日被仰出傳奏飛鳥井黄門(雅教)、而黄門奏問
          云々、忝之旨、令祗候申入了、不可有御別義之旨仰也

元亀四年/天正元年(1573)
■四月七日:以和平之義、自信長名代織田三郎五郎・佐久間衛門尉(信盛)・細川兵部大輔(藤孝)、
         武家(足利義昭)御所へ祗候也、各御對面云々、後刻参武家御所了
         (信長、足利義昭と和議を講ぜしめらる)(八日信長岐阜へ還る)

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