津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「一位日本武士眼中的中国」

2008-06-17 10:18:14 | 歴史
 中国の文学資源研究系助教授、陳捷(ちんしょう)氏の論文、「一位日本武士眼中的中国」というものがある。明治八年三月八日、玄祖父上田休(久兵衛)は四十日間に渡る中国の旅に出ている。其の時の「日録」に関する陳捷助教授の論文で、『中日文史交流論集―佐藤保先生古稀記念』(上海辞書出版社、2005年9月)に掲載されている事を知って図書館に出かけた。残念ながら熊本県立図書館には蔵書としてなく、福岡大学図書館からコピーを贈っていただいた。・・・全く分からない・・・どうしようもなくお蔵入りとなっていたが、今般その翻訳文が送られて来た。「ある日本武士がの目から見た中国」と訳されている。直系の玄孫上田氏のご努力で、前四川外語大日本語学科准教授の楊霞斐氏の翻訳によるものである。著作権の関係もあろうし、ご紹介するのは難しく思われる。

 二年後の熊本は西南戦争の戦渦に巻き込まれ、上田休も川尻地区の住民の要請を受けて鎮撫隊を結成して住民の安全の為に奔走する。その結果謂れのない罪を得て刑死するのである。新しい時代の草創期とはいえ、その死は余りにも無残である。公武調和に身を挺し、帰国の後は民政に全力を捧げ、藩の崩壊後も己の信ずる道を失うことなく中国を訪れて見聞を広める努力を成した。川尻に於ける住民の自治によっての一つの成果は、明治新政府にとっては、「危険思想」と写ったのかもしれない。子孫であるが故の感傷に浸るのではなく、歴史に真実の貴さを後世に伝える責任を思うのである。
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