津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

兼見卿記から--慶長改元

2008-06-09 16:12:01 | 歴史
 文禄五年十月廿七日の兼見卿記に「慶長改元」の模様が記されている。
「(前略)亥下刻改元儀式初之、先上卿鷹司左大将横座ニ候、次日野大納言輝資卿奥座ニ候、次久我大納言敦通卿、次水無瀬中納言兼成卿、次広橋中納言兼勝卿、端之座東ニ花山院中納言、次万理少路中納言充房卿、次横敷ニ藤宰相永孝卿、次六条宰相有広卿、各列座、次奉行葉室持参勘文、上卿御前ニ置之、上卿御披見二通在之、如本被巻之、輝資卿へ遣之、其佐法六借次第也、次ニ各次第ニ披見之、六条巻納之、置前、上卿仰言葉如何不聞、次有広卿又披之、微音ニ読之二通、読訖而奏問、奉行葉室、次葉室上卿前ニ候、次有広最初之年号難発言、次上卿自下臈次第ニ水無瀬兼成卿難陳、自是上卿発言、次十一之年号、一座之仗儀及暁天、慶長へ相定之、(以下略)」

 何のことだか理解に苦しむが、とにかく大事であったのだろう、翌廿八日には、「昨夜改元、慶長定之云々、及暁天聴聞、くたひれ」と疲労困憊のご様子・・・お疲れ様
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟と鳳凰の関係

2008-06-09 12:11:12 | 歴史
 宝永の頃徳川治貞と細川重賢は、夫々「紀伊の麒麟」「肥後の鳳凰」と称えられた。二人が両家の婚姻をもって、非常に近い関係である事が分かる。

            将軍家
 徳川家康---+--秀忠
         |
         | 尾張
         +--義直
         |
         | 紀伊       2        3
         +--頼宣---+--光貞---+--綱教
         |       |       |  4
         |       |       +--頼職
         |       |       |  5
         |       |       +--吉宗(徳川将軍家・八代)   
         |       |                     
         |       +--頼純---+--頼路
         |                |  6       7     8     9・麒麟
         |                +--宗直---+--宗将---重倫==治貞
         |                        |
         |                        +--治貞
         |                        |
         |                        +----------女(細川宗孝室・友)
         |     讃岐高松藩・初代
         |       +---頼重==本源院   +--女(頼路室)
         |       |         |     |                鳳凰
         |       |       細川綱利---+==宣紀---+--宗孝==重賢---治年    
         | 水戸     |                         |
         +--頼房---+--光圀                     +--重賢

 細川重賢の兄・宗孝室友姫(静證院)が、紀伊徳川家治貞の実妹である。不幸な死を遂げた宗孝の夫人を、重賢は終生孝をもって尽くしたという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする