文禄五年十月廿七日の兼見卿記に「慶長改元」の模様が記されている。
「(前略)亥下刻改元儀式初之、先上卿鷹司左大将横座ニ候、次日野大納言輝資卿奥座ニ候、次久我大納言敦通卿、次水無瀬中納言兼成卿、次広橋中納言兼勝卿、端之座東ニ花山院中納言、次万理少路中納言充房卿、次横敷ニ藤宰相永孝卿、次六条宰相有広卿、各列座、次奉行葉室持参勘文、上卿御前ニ置之、上卿御披見二通在之、如本被巻之、輝資卿へ遣之、其佐法六借次第也、次ニ各次第ニ披見之、六条巻納之、置前、上卿仰言葉如何不聞、次有広卿又披之、微音ニ読之二通、読訖而奏問、奉行葉室、次葉室上卿前ニ候、次有広最初之年号難発言、次上卿自下臈次第ニ水無瀬兼成卿難陳、自是上卿発言、次十一之年号、一座之仗儀及暁天、慶長へ相定之、(以下略)」
何のことだか理解に苦しむが、とにかく大事であったのだろう、翌廿八日には、「昨夜改元、慶長定之云々、及暁天聴聞、くたひれ」と疲労困憊のご様子・・・お疲れ様
「(前略)亥下刻改元儀式初之、先上卿鷹司左大将横座ニ候、次日野大納言輝資卿奥座ニ候、次久我大納言敦通卿、次水無瀬中納言兼成卿、次広橋中納言兼勝卿、端之座東ニ花山院中納言、次万理少路中納言充房卿、次横敷ニ藤宰相永孝卿、次六条宰相有広卿、各列座、次奉行葉室持参勘文、上卿御前ニ置之、上卿御披見二通在之、如本被巻之、輝資卿へ遣之、其佐法六借次第也、次ニ各次第ニ披見之、六条巻納之、置前、上卿仰言葉如何不聞、次有広卿又披之、微音ニ読之二通、読訖而奏問、奉行葉室、次葉室上卿前ニ候、次有広最初之年号難発言、次上卿自下臈次第ニ水無瀬兼成卿難陳、自是上卿発言、次十一之年号、一座之仗儀及暁天、慶長へ相定之、(以下略)」
何のことだか理解に苦しむが、とにかく大事であったのだろう、翌廿八日には、「昨夜改元、慶長定之云々、及暁天聴聞、くたひれ」と疲労困憊のご様子・・・お疲れ様