津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・横井氏 & 平野氏

2008-08-01 10:30:33 | 歴史
 「三つ鱗紋」は北条家の家紋だが、細川家家臣に中にもこの家紋を使う二流の家がある。横井氏と平野氏である。共に遠祖を北条時行とする横井氏の流れでまさしく同根である。細川家召出しの事情ははっきりしないが、横井家祖・時次が寛永九年(1632)細川忠利肥後入国に随伴した事による。平野氏については、九郎右衛門・長之が「父と共に大阪に籠城し、後洛外に居住、元和八年豊前召寄せられ、知行五百石組外に差し置き。忠利代元和八年八月、三百石加増、小姓頭。其の後大目付。寛永元年八月、百五十石加増。島原乱の時光尚に近侍、武功吟味役。」とされる。推測の域を出ないが、長之の祖父・大炊助長治が清原業賢子(宣賢孫=幽齋従兄弟)である事によるのではないか。

                                      雅楽助  牛右衛門
 北条時行---行氏---+--時任---時利---時長---時勝---時延---時春(肥後横井家)
              |
              |                              甚左衛門 九郎右衛門
              |                            +--長景---長之
              |                            |      (肥後平野家)
              |                 万久  大炊頭   |
              +--行宗---宗長---宗房---賢長===長治---+--長泰(旗本平野家)
                                       ↑
                      清原宣賢---+--業賢---長治
                              |
                              +--女
                                 |---細川藤孝
                               三渕晴員

■横井牛右衛門(弥二右衛門・時春)  
   原城にて武功之面々御褒美被下候--黄金一枚(綿考輯録・巻四十九)
       (1)供之者・御扈従与也 三百石 (於豊前小倉御侍帳)
       (2)御小姓組 三百五十石
       (3)御鉄炮頭衆 七百石 (真源院様御代御侍名附)
       (4)七百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
   嫡家・然平家、平四郎家、覚家の三家が明治に至った。
   横井平四郎こそ幕末の偉人横井小楠である。

■平野九郎右衛門・長之  
       (1)供之者・御扈従与也五番  千石 (於豊前小倉御侍帳)  
       (2)御小姓組衆・頭 千石 (肥後御入国宿割帳)
       (3)人持衆并組外衆 千石 (真源院様御代御侍名附)
       (4)千石   (真源院様御代御侍免撫帳)
     正保頃~万治三年(病死)小姓頭
     御小姓頭の折、側用人神谷矢柄の専権に対し、新参者の頤使するを慊からずとして職を辞す
    嫡家・九郎太郎家、七角家、弥平家、甚兵衛家の四家が明治に至った。

 (ちなみに、サイト・芙蓉家系研究所の「異聞歴史館」中に、秀逸な「横井一族の系譜」が紹介されている)
      www.kakeiken.com/index.html・・・リポート欄

  平野長泰  ja.wikipedia.org/wiki/平野長泰(ウィキペディア)
          www2.harimaya.com/sengoku/html/hirano_k.html (武家家伝)
 尚、寛永三年十一月十六日・日帳に、「大坂ニ而川御座一艘并荷舟一艘、平野遠江(長泰)様御かり被成旨、(略)」とある。懇意な付き合いを伺わせる記述である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする