津川近利について、8/13のブログで書いた。その時期(寛永七年)すでに弟・辰珍が細川家に召し出されており、久しぶりの兄弟の交流があったことだろう。次の一文は、辰珍のみならず、近利の息・近元が細川家にいた事が分かる。
寛永六年五月廿日「日帳」抜粋
「津川数馬殿御座候前之へいころき候間、作事申付候様ニとの御使候(以下略)」
「津川近元邸前ノ転倒ノ塀ノ作事ヲ命ズ」との脚注がある。(福岡県史・近世編--細川小倉藩二p259)
数馬
斯波義近---+---近利----近元----辰房
| |
| ↓ 平左衛門
+---辰珍======辰房---+--辰之---辰貞==辰氏---辰陳---→(津川家)
| | ↑
| +---辰則(辰氏)・・・・・・
|
+---親行(室・織田有楽女)
|
+---女
|----津田三十郎---→ (津田家)
織田信重
近元が細川家に召し出されていたのかどうかは、史料が乏しく現況では判然としない。細川家家臣・津川家祖辰珍は近元の息・辰房を養嗣子としている。当時辰珍は1,250石、寛永十九年250石を甥・津川三十郎に分知し、養嗣子・辰房は1,000石を家督している。いろいろ面白いお家の事情がある。
寛永六年五月廿日「日帳」抜粋
「津川数馬殿御座候前之へいころき候間、作事申付候様ニとの御使候(以下略)」
「津川近元邸前ノ転倒ノ塀ノ作事ヲ命ズ」との脚注がある。(福岡県史・近世編--細川小倉藩二p259)
数馬
斯波義近---+---近利----近元----辰房
| |
| ↓ 平左衛門
+---辰珍======辰房---+--辰之---辰貞==辰氏---辰陳---→(津川家)
| | ↑
| +---辰則(辰氏)・・・・・・
|
+---親行(室・織田有楽女)
|
+---女
|----津田三十郎---→ (津田家)
織田信重
近元が細川家に召し出されていたのかどうかは、史料が乏しく現況では判然としない。細川家家臣・津川家祖辰珍は近元の息・辰房を養嗣子としている。当時辰珍は1,250石、寛永十九年250石を甥・津川三十郎に分知し、養嗣子・辰房は1,000石を家督している。いろいろ面白いお家の事情がある。