津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

川尻の「御蔵前船着場」

2008-08-19 10:09:36 | 熊本
 今日の新聞は足掛け六年に及ぶ、延長140メートルの石造の船着場の改修工事が、今年度末完了する事を報じている。藩政時代、加勢川の水運を利用して、20万俵もの米がここから荷揚げされ近くの「御蔵」に納められた。熊本五ケ町の一として、この川尻の町は重要な場所であった。二棟あったといわれる「御蔵」のうち、一棟は現存しているがその大きさに驚かされる。
 明治十年西郷隆盛は兵を挙げ、熊本を目指しここ川尻の地に陣所を置く。住民に請われて鎮撫隊を結成し、街の治安維持に奔走したのが、かって川尻奉行を勤めた上田久兵衛(休)である。「御蔵」の裏手に奉行所があり、藩主の休息所があった。騒然とした一時期があったとは思えないような、静かな佇まいが魅力的である。

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原城址

2008-08-19 08:36:42 | 徒然
 1970年代だと思われるが、山本健吉氏は夫人を伴い、島原の乱の激戦地原城址を訪ねておられる。
そのことを「原城址の赤のまま」に書かれているが、夫人の言葉として次のように紹介されている。

 訪れる人は、私たちの外は誰もいない。このひっそりとした静かさに、家内はいたく感動したらしかった。「一度も栄華の時を持たなかった城址なのね」と、言った。

 ふと三橋美智也が歌った「古城」の歌詞を思い出した。(山本先生は、土井晩翠の「荒城の月」や島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」を引用されているが、私の方は俗っぽくていけない)

      1 松風騒ぐ 丘の上
        古城よ独り 何偲ぶ
        栄華の夢を 胸に追い
        ああ 仰げば侘し 天守閣

           2 崩れしままの 石垣に
             哀れを誘う 病葉や
             矢弾のあとの ここかしこ
             ああ 往古を語る 大手門

                3 甍は青く 苔むして
                  古城よ独り 何偲ぶ
                  たたずみおれば 身にしみて
                  ああ 空行く雁の 声悲し

 当然のこと、「往古を語る大手門」も「天守閣」もない。ただ有明の海から風が吹きとおす、荒寥たる台地だけが残された。
山本健吉氏は宿の板前さんの請いに応じて、次のような句を残されている。

         薯畑にただ秋風と潮騒と
         地の果てに地の塩ありて蛍草
         幸ひなるかなくるすが下の赤のまま 

 半世紀ほど前(山本氏と時期があまり変らないようだ)、何の知識も持ち得ないままここを訪れた事がある。今一度訪ねて、瞼をとじて刻を偲んでみたいと深く思った。
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