今日の新聞は足掛け六年に及ぶ、延長140メートルの石造の船着場の改修工事が、今年度末完了する事を報じている。藩政時代、加勢川の水運を利用して、20万俵もの米がここから荷揚げされ近くの「御蔵」に納められた。熊本五ケ町の一として、この川尻の町は重要な場所であった。二棟あったといわれる「御蔵」のうち、一棟は現存しているがその大きさに驚かされる。
明治十年西郷隆盛は兵を挙げ、熊本を目指しここ川尻の地に陣所を置く。住民に請われて鎮撫隊を結成し、街の治安維持に奔走したのが、かって川尻奉行を勤めた上田久兵衛(休)である。「御蔵」の裏手に奉行所があり、藩主の休息所があった。騒然とした一時期があったとは思えないような、静かな佇まいが魅力的である。
明治十年西郷隆盛は兵を挙げ、熊本を目指しここ川尻の地に陣所を置く。住民に請われて鎮撫隊を結成し、街の治安維持に奔走したのが、かって川尻奉行を勤めた上田久兵衛(休)である。「御蔵」の裏手に奉行所があり、藩主の休息所があった。騒然とした一時期があったとは思えないような、静かな佇まいが魅力的である。