津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

沼田延元跡式相続

2008-08-31 21:51:56 | 歴史
 沼田延元が寛永元年八月十三日亡くなった知らせは、八月ニ十日小倉にもたらされた。これを受けて藩庁は、その跡式を仕置きしている。九月十八日付「日帳」に次のように在る。

沢村大学(吉重)殿登城、平野九郎右衛門(長氏)被指上候時、長岡十五郎(沼田延之)殿へ被成御書候、然ハ、勘解由(沼田延元)殿知行不相替十五(ママ)殿へ被遣候、十五郎殿千石分ハ仁平次殿三百石の内、百五十石平野九郎右衛門御加増ニ可被遣之御書、此地御奉行衆へも御書見せ可申旨、被仰下候条、被得其意候へと、大学被申候ニ付、御奉行衆頂戴被仕候而、田中猪兵衛(氏久)ニ則被申■渡候事

 1、亡くなった延元の知行は息・沼田十五郎(延之)が相続
 1、延之の別禄千石は差上げ、仁平次に与えられた。尚、仁平次の旧禄の内の半分百五十石は、平
   野九郎右衛門加蔵分に宛てられた。

 ここに登場する仁平次とは、松井康之の姉・松林院(角田因幡守藤秀室)の子・松井二平次と推察される。この記事からこの時期三百石であったことが分かる。そして延元の死に伴う仕置きに於いて、千百五十石の大身になったことが窺がえる、貴重な資料である。九郎右衛門もこの加増を以って千石の家禄となった。

 松井二平次の嫡男は松井外記元勝、二男湘雪院西堂、三男角田団兵衛勝貞、四男松井庄次郎友好(沢村大学養子)、娘は志水悪兵衛息・加兵衛(松井式部)に嫁いだ。
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こづみあげる

2008-08-31 16:36:22 | 歴史
 我が机の周りは悲惨な状態にある。本やらコピーが幾つかの小山をなして、山脈を形成している。窓を開けていたらコピーが吹き飛ばされていて、ページが打ち込まれていない古文書などは元に戻すのに大変な時間を労する。昨日は「熊本史談会」の例会、先輩諸氏に話を伺うと、どちらも似たり寄ったりで、資料保管には苦労され又見つけ出すのに一苦労されている。増える一方の諸家の「先祖附」などの為に、新にプラスティックの引出しの棚を買い入れようと思っているが、これとて効率よく収納する為にはどういったものが良いのかを研究せねばならぬ。諸々の諸資料についても、どう分類収納するのか、まずは台帳つくりをしなければ成らない。
 私の悪い癖で、読んだ本は出しっぱなし、資料などもそこいらに片っ端からこずむ。故に我が部屋は、奥方の掃除の対象からはずされている。日曜日の貴重な時間を、資料を整理して元の位置に戻し、掃除機など掛けて積日のゴミを払い、本棚の雑巾掛けなどの労働である。もっとも、帰り先の分からないものが沢山あって、これが又こづみ上げられて、又小山を作った。明日以降、又こずみあげる為に、場所つくりをしているようなものだ。・・・ご苦労さん・・・

 蛇足:こづみあげるという言葉はまさしく熊本弁なのだが、「こづむ=小積む」からきている。いい言葉だと思っているのだが・・・
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