津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・小栗氏

2008-08-05 08:33:29 | 歴史
 昨年6月9日・10日に渉りブログに書いた「肥後藩士小栗氏」のことである。重複する部分があるが、「預り人シリーズ」の最終回として再登場である。

 「越後騒動」事件は、越後国高田藩で起こった御家騒動。 藩政を執っていた首席家老小栗美作と、これに敵対するお為方を称する一族重臣とが争い、将軍徳川綱吉の裁定で両派に厳しい処分が下され、高田藩は改易となった事件である。(ja.wikipedia.org/wiki/越後騒動) この事件に連座した美作弟・小栗兵庫(家老職1,000石)の幼い子供四人が細川家に預けられ(延宝九年-1681-七月)、四十年の長きに渉り囲い屋に止められた。解放(享保五年-1720-九月)後、細川家家臣として召し出されたが、何とも気が重くなる事件である。長男岡之助、三男六十郎は四十年振りに囲い屋を出るが、二男・四男は囲い屋をでることなく亡くなっている。

 六十郎は後に改名、九十郎を名乗る【小栗半十郎家】の初代である。
岡之助についてのその後の消息は分からない。
                              切腹       切腹
 大六重国---備後守重勝---吉六正重---+--美作守正矩---大六長治
                           |
                           |  流罪・八丈島(死去)
                           +--兵庫---+--●
                                   |
                                   +--● 男子三名・松平陸奥守御預(二名死去)
                                   |
                                   +--●
                                   |
                                   +--○ 姉・京都在住
                                   |
                                   +--岡之助(当時八歳)
                                   |
                                   +--八之助(当時六歳)元禄七年五月病死
                                   |
                                   +--六十郎(当時四歳)
                                   |
                                   +--小三郎(当時二歳)正徳三年四月病死

 小栗氏出自については、ウィキペディア「ja.wikipedia.org/wiki/常陸小栗氏」を参照されたい。
コメント
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