オリンピック気分で浮かれている間に、終戦記念日を迎えた。長崎・広島の原爆投下の日や、熊本大空襲、そして終戦、当時三歳であった私には定かな記憶が無い。しかし山の端に遠望した「長崎のきのこ雲」や、焼夷弾が落ちた庭先の松ノ木が燃えた話、機銃掃射を受けた母の話などを聞かされていて、やはり八月が来るとそれなりの感慨が胸をよぎる。
www.city.kumamoto.kumamoto.jp/aramashi/sengo60/gaiyou.html - 9k
『熊本大空襲と平和の誓い新た--熊本空襲戦災概要』
母の話によると、機銃掃射は操縦者の顔が確認できるほど低空からだったという。幸いに母の前後数メートルを跨ぐように弾が飛んできたという。上記空襲の記録にもある、大江に住まいしていたが、私は庭先の防空壕に入っていたらしい。入口付近の松ノ木に焼夷弾の油布らしいものが落ちてきて火が立ち上り、あまりの熱さに出ようとしたところを、祖母から帯をつかまれて引きずり込まれたらしい。幸いすぐ鎮火して大事には至らなかったが、そんな体験が私にもあった。
オリンピックの日本勢の活躍に一喜一憂するなか、ふと我に帰りふかく頭を垂れた。
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『熊本大空襲と平和の誓い新た--熊本空襲戦災概要』
母の話によると、機銃掃射は操縦者の顔が確認できるほど低空からだったという。幸いに母の前後数メートルを跨ぐように弾が飛んできたという。上記空襲の記録にもある、大江に住まいしていたが、私は庭先の防空壕に入っていたらしい。入口付近の松ノ木に焼夷弾の油布らしいものが落ちてきて火が立ち上り、あまりの熱さに出ようとしたところを、祖母から帯をつかまれて引きずり込まれたらしい。幸いすぐ鎮火して大事には至らなかったが、そんな体験が私にもあった。
オリンピックの日本勢の活躍に一喜一憂するなか、ふと我に帰りふかく頭を垂れた。