津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

阿蘇南郷谷

2008-08-06 13:22:57 | 熊本
 いやはや暑い。三日ほど続いた34℃台が昨日は36、4℃、今日は37℃の予想が出ている。気温に係わる予想というものは、どうして導き出されるのか知らないが、これが良くあたる。今日はなんとか外れて欲しいものだ。

 昨日所用で阿蘇南郷谷・久木野(現南阿蘇村)に出かけた。かっては、九十九曲がりの俵山越えするルートで出かけていたが、南阿蘇道路が開通してからはすばらしいドライブコースである。気温も3℃位は低いようだ。涼しい風が心地よい。日が落ちてからの帰り道は、眼下の家々の明かりが美しく連なっていてすばらしい景色になっている。数年懸かりで5,000本の桜の植樹が計画されている南阿蘇だが、そのときは又一段と魅力ある地域になることだろう。ヒートアイランドの街中でうんざりするよりも、このすばらしい自然の中に身をゆだねて、余生を過ごしてみたいものだ。私よりも10歳ばかり歳下の同行のドライバーは、将来どうやら本気で南阿蘇に住む事を考えているらしい。私にとって街中にすむメリットは、唯一図書館が近いことだけである。ふと自動車で45分の道のりを、自転車で走ったらどのくらいかかるのだろうかと考えた。
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信実は闇「島崎騒動一件」

2008-08-06 12:12:18 | 歴史
 上妻博之先生の「肥後文献解題」をみると、「島崎騒動一件」「就御穿鑿仕上口書」という文書が存在する事が分かる。天保六年、いわゆる時習館訓導・河部仙吾を殺害せんと企て、事前発覚し一味徒党は捕らえられて、首謀者は刎首梟首(天保八年八月)されたという事件である。
 この事件についてはその詳細がよく分からない。どうも裏の理由があるようだが憶測での発言は慎まなければならない。

 同事件に関する「大塚仙之助・伊藤石之助列口書頭書」「同一件判決書」に於いても、裏の理由に立ち入る様な記述はない。
   ■大塚五郎右衛門嫡子・大塚仙之助
      苗字双刀御取上 刎首 さヽ札三日長六橋
   ■伊藤楯之助弟・伊藤石之助
      苗字双刀御取上 刎首 梟首三日同(長六橋)
   ■横山藤左衛門嫡子・横山清十郎
      苗字双刀御取上 刎首
   ■堀内七郎右衛門嫡子・堀内彦右衛門
      苗字双刀御取上 刎首
    この四人は「高麗門囲内」で処刑された。

その他
   苗字双刀御取上・囲入
      三井三郎兵衛(三井直右衛門嫡子)
      水野熊太郎(水野清左衛門嫡子)
   苗字双刀御取上・禁足
      鎌田新三郎(鎌田甚吉嫡子)
      鈴木 央(鈴木甚兵衛嫡子)
      佐々布準助(佐々布蔵次郎二男)----参考欄参照
      荻 豊熊(荻吉九郎二男)
   士席指放・禁足
      岩間小左衛門(岩間此面嫡子)
      仁保平太郎(仁保吉右衛門嫡子)
      内山為彦(内山小右衛門嫡子)
 これらの処分は、嘉永四年十一月に至りようやく「御免」となった。
 以下「不被召仕」「逼塞」等々の処分がなされている。

 ここで気づくのは嫡男が多い事である。戸々の処分についての資料は「父兄・親戚等へ御沙汰之儀ハ機密間記録ニ相成候」とあり定かでない。お取潰しになったり、家禄没収になったりという事は、侍帳の記述からは伺えない。「熊本県政資料」に「機密日記」というものがあるが、数十冊に及ぶ資料でいささか腰が引けている。いつか探し出したいと思っている。

 【参考】 
 佐々布篁石 南画家。名は直方、通称準助、後才三郎改む。篁石は画名なり。
       文化十四年七月七日生まれ、明治十三年十一月廿九日死去。
       佐々布蔵次郎子。天保六年の某事件の主犯四名(八年八月死刑)
       と党せしを以って、終身仕官することを得ず。


 
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