津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

御目見

2008-08-08 11:32:29 | 歴史
 「御目見は幾つ」という決まりは無かった様で、寛永七年九月七日の「日帳」がそれを表している。八歳から廿一歳までと様々であるが、御目見がなされておらずに絶家となる家が多いことを考えると、不思議な感じがする。

 御目見へ仕度と申上子供ノ覚 (奥村少兵衛)
 歳九つ 田辺つちの助  該当する名前なし
  十一 寺井藤蔵     寺井家系図に藤蔵の名前が見えるが時代が下っている。該当年代に於いては不明
  十五 金津十二郎    ガラシャ夫人に殉じた助次郎正直の孫・十次郎守政か
  十六 沢村権十郎    田邊籠城衆中村甚左衛門子・弥一の三男権十郎か
  十九 金子久四郎    該当する名前なし
  十三 ふわ大介     該当する名前なし
  廿一 早川久大夫    該当する名前なし
  廿  左兵衛子 加藤少大夫 該当する名前なし 
  十二  同   加藤権介  原城武功により被賞・新知百石
  十六 山田市ノ介    該当する名前なし
  八つ 甚右衛門子 平野甚九郎 該当する名前なし
  十一 吉兵衛子 岡伝蔵 於豊前小倉御侍帳に「御扶持方取・五人」とある
         右之分、書付上候也 

      該当する名前が確認できないのは、改名若しくは二三男であろうか。
コメント
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