以下に掲げる語彙は、古文書解読をする上では絶対修得しておくべきものであろう。
これはなんと「センター試験」受験対象者に対して、「修得することが望ましい語彙には次のようなものがある」として公開されている、あるサイトから引用したものである。
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■読み・意味とも多岐にわたる重要語30
見・為・之・与・夫・如・若・将・且・宜・而・爾・斯・者・焉・悪・以・惟・自・即・故・謂・已・事・少・卒・直・徒・毎・尤
■重要語135 名詞・和漢異義語
鬼・故人・大丈夫・百姓
■名詞・人称(一)
己・寡人・孤・朕・不肖・予(余)
■名詞・人称(二)
子・小子・足下・女・二三子・陛下
■名詞・呼称
字・諱・諡・号
■名詞・人物 荘子
夷狄・燕雀・客・兄弟・鴻鵠・胡虜・孺子・聖人・壮子・弟子・朋・夫子
■名詞・君臣役職
君・君子・卿・左右・士・上・丞相・小人・臣・大夫・天子・天帝
■名詞
朝・苛政・逆旅・乾坤・孝・光陰・恒産・恒心・社稷・城・人間・為人・邑
■動詞
遊・中・過・更・諌・詣・曰・云・居・膾炙・叩頭・対・弑・前・賜・足・誅・封・征・説
■形容詞形容動詞
殆・衆・難・罔・鮮(寡)・易・工・碧
■副詞
勝・敢(肯)・新・或・聊・壱・転・各・徐・曾(嘗)(常)・還・莞爾・畢(尽)・屡(数)・頃(姑)(暫)・須臾・頗・既・渾・径・乍(忽)・会・具・倶・遽・果・甚・窃・方・固(素)・差(稍)(良)・漸・纔(才)
■助字
相・所謂・今・於・如此(如是)(如斯)(若此)(若是)(若斯)・蓋・維・諸・其・抑・所・用・已矣(已矣乎)(已矣夫)(已矣哉)・所以・従・因
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さてこのサイトとは http://www.nara-wu.ac.jp/fuchuko/curriculum/study/Japanese/kanbun.html
【漢文のワード】 等を読むと大変勉強になる。時折こんなサイトに紛れ込んでみるのも良いものである。
NHKのお昼のニュースで映し出された、今日の熊本城の姿に思わず歓声を上げてしまった。
今朝の熊本は深い霧に覆われた。その霧が熊本城の石垣から下を全て覆い隠し、天守や櫓が乳白色の霧のうえに見事に浮かんでいる。今迄にお目にかかったことのない素晴らしい景色であった。
多分明日の新聞紙面で紹介もされるだろうが、新聞社にお願いして写真を取り寄せたいと思っている。50年に一度、いや100年に一度の景色だろう。出来うれば我サイトのスクリーンセーバーとして使いたいほどだ。皆様にも是非ともご紹介したいと思うのだが・・
絶景かな、絶景かなであった。 感激・・
今朝の熊本は深い霧に覆われた。その霧が熊本城の石垣から下を全て覆い隠し、天守や櫓が乳白色の霧のうえに見事に浮かんでいる。今迄にお目にかかったことのない素晴らしい景色であった。
多分明日の新聞紙面で紹介もされるだろうが、新聞社にお願いして写真を取り寄せたいと思っている。50年に一度、いや100年に一度の景色だろう。出来うれば我サイトのスクリーンセーバーとして使いたいほどだ。皆様にも是非ともご紹介したいと思うのだが・・
絶景かな、絶景かなであった。 感激・・
齊護公の遺事である「陽春集」に、多くの歌が記されている。
その中に公の我が子を思う二篇の歌を見つけた。
七夜
生ひそむる二葉の小松いく千代の
さかえをかけて契るゆくすゑ
元服
こむらさき千代のゆかりの行末を
はつもとゆひに結びおかまし
初元結
陽春集に於いては、掲載順は逆になっている。当然のことながら、歌が何方に対してのものかは
明らかではない。六男五女をなされたが一男三女が夭折し、嫡男・慶前公も23歳で亡くなられた。
齊護公の跡13代当主となったのが二男・韶邦(護順・慶順)、14代が三男護久、四男承烈(承昭)は
津軽家の養子となり、五男が一時喜連川家の養子となって出奔した護美(良之助)である。
勇姫様は越前松平慶永(春嶽)公夫人、末子喜久姫は米沢上杉家十四代茂憲(龍千代)に嫁いだ
が十九歳で亡くなっている。
ふたつの歌が何方に対してものであるのかの穿鑿は必要ない。
父親の心情は、あまねく全ての御子に対してのものであろう。
その中に公の我が子を思う二篇の歌を見つけた。
七夜
生ひそむる二葉の小松いく千代の
さかえをかけて契るゆくすゑ
元服
こむらさき千代のゆかりの行末を
はつもとゆひに結びおかまし
初元結
陽春集に於いては、掲載順は逆になっている。当然のことながら、歌が何方に対してのものかは
明らかではない。六男五女をなされたが一男三女が夭折し、嫡男・慶前公も23歳で亡くなられた。
齊護公の跡13代当主となったのが二男・韶邦(護順・慶順)、14代が三男護久、四男承烈(承昭)は
津軽家の養子となり、五男が一時喜連川家の養子となって出奔した護美(良之助)である。
勇姫様は越前松平慶永(春嶽)公夫人、末子喜久姫は米沢上杉家十四代茂憲(龍千代)に嫁いだ
が十九歳で亡くなっている。
ふたつの歌が何方に対してものであるのかの穿鑿は必要ない。
父親の心情は、あまねく全ての御子に対してのものであろう。
一、前にもいへる如く、特愛殊遇好悪の御気色いさゝかもおはしまさゞるにつけて、最め
でたき御詠あり
秋の野の千草は色をあらそへど月はわきてもやどらざりけり
と、實に御本姓おのずからあらはれ侍るにこそ、晩年には御詠歌いよ/\すゝませ給
ひて、高調あまたありけらし、既に江戸人某の撰みたる大江戸集といへるにも、御歌數
首を載せたり、其歌どもは、
関立春
あふ坂の関のすぎむら打ちかすみひと夜にこへて春はきにける
庭花
雲とだに打ちまもらるゝ庭ざくら花のさかりはあからめもせず
田蛙
せきいれし水のうたかたあはれにもくるゝ門田に鳴かはづかな
月
雲はらふ風なかりせばいかでかくさやけき月のかげを見てまし
秋雨
とにかくに袖やすからぬおとすなり桐の葉さそふ秋のむらさめ
冬月
木がらしにさはる日一葉のくまもなしかげさえまさる冬の夜の月
又御逝去ありし年の前年の暮に
行年をいかにをしとていかにせんとてもかくても留らざりけり
と遊され、その明る春より、心地例ならずおはしまして、四月にかくれ給ひしは、御先識
とも申すべき歟、いともかなしくかしこかりし御事なり
一、故久我殿従一位内大臣通明の北の方は、治年君大訽院の姫君就姫君にて、君のために、大みおばに
あたらせ給ふ、此御方の歌を能くし給ひしは、世にいちじるし、御集あり、櫻木集と名づ
けらる、其序文は、君にあつらへ給へり、今梓にのぼし給へれば、こゝに贅せず、此御方は
やく孤とならせ給ひ、華洛ながらも、雲ゐのはるけきに嫁し給ひ、御子さへ世を早うし
給ひしなど、よろづに御心ぼそかめるを、君ふかくおぼしやらせ給ひて、江戸への御ゆ
きかひに、とふらひまいらせ給ふはさらなり、かにかくに御心用ひ給ふ事、ねもごろな
る御事なり
一、詩作もあらせられけり、辛島才蔵が江戸を發ちてかへれる時に、賜ひたる詩あり
送鹽井叟歸郷三首
百花含咲艶陽時、東武今朝惜別離、五十三亭歸去後、鎮西風月與翁期
獨送歸人酌別邑、和風如煽柳如絲、雖知他日相逢近、無奈暫時戀戀情
三千里路欲珍重、只願老年四體全、再會應論治安策、欲矯我癖倚良賢
右之詩は、才蔵が江月へ参りつかへし時の御作なれば、御年わかくおはしましゝころ
なり、給句中、老儒を重ぜられ、答を乞はせ給ふ御心浅からざるを伺ひ来るべきなり、か
ゝる御事なほあまたあるべし、又いつの御作なりしにか近侍のもの賜ひたる中に
春日郊行
東郊十里野禽啼、歩歩風光花満渓、日暖千村農事起、一年豊■在春犂
これら一時の御口吟に、農事のうへにも及ばせたまへるぞ、有がたかりける
(了)
でたき御詠あり
秋の野の千草は色をあらそへど月はわきてもやどらざりけり
と、實に御本姓おのずからあらはれ侍るにこそ、晩年には御詠歌いよ/\すゝませ給
ひて、高調あまたありけらし、既に江戸人某の撰みたる大江戸集といへるにも、御歌數
首を載せたり、其歌どもは、
関立春
あふ坂の関のすぎむら打ちかすみひと夜にこへて春はきにける
庭花
雲とだに打ちまもらるゝ庭ざくら花のさかりはあからめもせず
田蛙
せきいれし水のうたかたあはれにもくるゝ門田に鳴かはづかな
月
雲はらふ風なかりせばいかでかくさやけき月のかげを見てまし
秋雨
とにかくに袖やすからぬおとすなり桐の葉さそふ秋のむらさめ
冬月
木がらしにさはる日一葉のくまもなしかげさえまさる冬の夜の月
又御逝去ありし年の前年の暮に
行年をいかにをしとていかにせんとてもかくても留らざりけり
と遊され、その明る春より、心地例ならずおはしまして、四月にかくれ給ひしは、御先識
とも申すべき歟、いともかなしくかしこかりし御事なり
一、故久我殿従一位内大臣通明の北の方は、治年君大訽院の姫君就姫君にて、君のために、大みおばに
あたらせ給ふ、此御方の歌を能くし給ひしは、世にいちじるし、御集あり、櫻木集と名づ
けらる、其序文は、君にあつらへ給へり、今梓にのぼし給へれば、こゝに贅せず、此御方は
やく孤とならせ給ひ、華洛ながらも、雲ゐのはるけきに嫁し給ひ、御子さへ世を早うし
給ひしなど、よろづに御心ぼそかめるを、君ふかくおぼしやらせ給ひて、江戸への御ゆ
きかひに、とふらひまいらせ給ふはさらなり、かにかくに御心用ひ給ふ事、ねもごろな
る御事なり
一、詩作もあらせられけり、辛島才蔵が江戸を發ちてかへれる時に、賜ひたる詩あり
送鹽井叟歸郷三首
百花含咲艶陽時、東武今朝惜別離、五十三亭歸去後、鎮西風月與翁期
獨送歸人酌別邑、和風如煽柳如絲、雖知他日相逢近、無奈暫時戀戀情
三千里路欲珍重、只願老年四體全、再會應論治安策、欲矯我癖倚良賢
右之詩は、才蔵が江月へ参りつかへし時の御作なれば、御年わかくおはしましゝころ
なり、給句中、老儒を重ぜられ、答を乞はせ給ふ御心浅からざるを伺ひ来るべきなり、か
ゝる御事なほあまたあるべし、又いつの御作なりしにか近侍のもの賜ひたる中に
春日郊行
東郊十里野禽啼、歩歩風光花満渓、日暖千村農事起、一年豊■在春犂
これら一時の御口吟に、農事のうへにも及ばせたまへるぞ、有がたかりける
(了)