津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

生田又助覺書 ・・ 5 (了)

2010-02-26 14:30:24 | 歴史
一、八月廿三日板倉修理切腹之事仮付先立無刀麻上下
           留守居             岩崎彦右衛門
           白張屏風建廻場所致     奥山三平
           切腹相済候所より仕廻致  大武勘次
                             三崎太右衛門
                             中林又助
           諸立用人            山田太治馬
           給人               五十幡万右衛門
           大小姓             山路兵太夫
           切腹いたし候場所江罷出候節  鈴木又八
           付添出る無刀麻上下     鈴木清右衛門
                    股立取ル   岩崎小弥太
                             大沢宇内
           三方脇差持出ル中小姓   大内伴蔵
           介錯仕ル            吉田弥次右衛門
           刀を持脇差迄指麻上下中小姓 迦罷焼香■持出ル袴付
                             平崎文太
      監物様御中老江御越被仰渡
                            水野對馬守様
                            土屋
                            橋本阿波守様
                            八木十三郎様
                            御徒目附四人
                            御小(人・脱カ)目附二人
   右之通之事
      但板倉修理葬候寺者駒込乗物丁永正寺と
      申候禅寺之由尤板倉寺ニ而も無之水野監物様御
      寺ニ而勿論無之監物様御家来之存寄候寺之由
一、板倉修理屋敷御預             
                            花房近江守
                            堀田兵部
   右両人江御預ケ朝夕者食物之御両人之御方より焼出シ
   其外小屋ニ而者湯茶焼草の火も置不申に一切武器
   刃物取上ケ申候由水野監物様江板倉修理殿御預被成
   候と覚書之由御屋敷内江有之候写之置候事
一、八月十五日御禮相済候上御老中列座板倉修理御預
   被成候旨被仰出候也
一、右ニ付刀番之者被申付右之趣急度屋敷江申遣留守
   居之者御城江呼寄即刻留守居罷出請取之人
   数御城江差越左之通
         (人数立 略す)
   乗物常より丈夫成錠前有之青網持参刀箱壱錠前
   有之挟箱錠■ル
   右之通御城江請取ニ遣ス平川口より入組右之外ニ傍
   足軽餘斗ニ遣ス是ハ扣罷在候
一、修理殿事大目附御立合御渡候乗物ニ乗せむ候
   細(網カ)懸ヶ平川口より出し御徒目附四人御小人目附十四人
   付添被差越候乗物ニ錠おろし
一、此方より持参之刀箱御腰物を入右御徒目附被参御座
   處ニ而御腰物請取候段御拵等委細ニ書付
   受取書御徒目附ニ相渡候
一、手前屋敷裏門より入申し候事
一、途中前後御留守居用人者頭大目附給人徒士
   先江立中小姓左右固ム
一、御預人有之候段先達而屋敷より申越候ニ付差急キ小出
   院之内四方板張ニ大竹打入口者二重ニ一口手水所雪
   隠者囲之内
一、昼夜番人者頭一人・大目附一人・横目一人・給人二人・中小姓
   二人其外惣外■足軽番人不知■御預人有之住近承
   之早速呉服所江申付御差替御衣類夜具共ニ出来
   有寄置
一、公義御伺之上御食事等夜食一汁三菜此間ニ度
   々御菓子出箸は長サ三寸
一、右御食事度毎ニ如何様御菓子如何程致参候と之
   故扣置
一、御預人有之候内御登城其外御他行無之家中屋敷
   之者用事門外ニ而承置買人門内ニ不入
一、修理殿元取之結際より御切候と相見候御年二十二歳
一、御刀ハ無銘■せ物弐尺三寸脇差ハ一尺七寸丹波守吉
   道也
一、御鼻紙袋印籠有之
一、御懐中ニ三寸程之鏡奉書紙ニ包ミ有之候
一、十五日之暁監物様御逢被成候
一、切腹被仰付候哉と支度なども相成有之候由以上
       夘八月十五日
   右之通不慥候得共写之置候
一、御城御坊主御吟味之書付左之通
       夘九月十五日本多伯耆守様差圖御目附
       菅沼新二郎立合御坊主一件落着と
       仰渡書付之写表坊主
               星野休悦
   其方儀先月十五日大廣間御廊下前迄罷越候処
   細川越中守呼候而手拭を渡候ニ付用事相達候儀
   被■御■之掾ニ扣罷在候處小用所之内騒敷候間
   睍キ見候処誰ニと見分者無之候得共両人御切合候
   様子ニ見請候ハゝ御目附又者御徒目附成共早速
                             イカゝ本ノママ
   可申達候処無其儀動悸いたし其場を置跡へ落文刀
   参り罷在候段不行届仕方不埒に付扶持被召放
           
            表坊主 上田清喜
   其方儀先月十五日四早以上之揃点懸役相勤申候藤廉
   乃御板戸外ニ罷在候處蘇鉄之間騒敷候ニ付罷越
   承候得共誰と者相知不申候手負人有之由承り大
   廣間騒敷有之候故御三家方殿上之間へ御出可被成
   と心付候故注進仕其後ハ御目附差圖ニ而蘇鉄之
   間御襖立切仲間代/\附罷在始終騒動之場江罷越
   不申旨申候得共右之通点を懸役ニ而罷在候之処其
   場を明騒動之儀を可承と蘇鉄之間迄罷越候段不埒
   ニ付叱置  
            表坊主 吉田長佐
   其方儀先月十五日四早以上之揃点かけ役ニ而廉之御板
   戸内江入見申候得共誰共見定申儀者無之候得共手負
   候者を見懸候旨申候左候而早速御目附又者御徒目附
   江成共可申達候処無其儀不埒ニ有之候併四早以上点
   を懸候儀を専一と考罷在候儀ニ付叱り置 

            表坊主 早野久勢 内田玄徳 宇田川玄覚 長谷川鶴三 出田友巴 出田門賀 
                村山長古 松下閑士坊 江坂松房 石井永立 佐藤元知 梯沢宗ニ
                黒木閑斎 廣野貞佐 秋山甫仙 長坂清巴 横田宗仙 奥村喜三
            御数奇方御坊主 
                松井道悦 鈴木一斎 益池弓意 長野宗■ 岸本宗清 利倉善佐 
                岸本盛純
   其方儀先月十五日細川越中守手負候節場所江
   罷在不申候不埒之儀も無之候ニ付構無也
       夘九月

一、八月十五日之御刀者當朝之由是者     
   三齋様御差料之由御脇差ハ備前長義之由也

      生田又助隠居しテ長風と云

   右者元治二乙丑三月吉田庄太郎より
   借請写之置候也                
               (宮村典太氏雑撰録を上妻博之氏再写・上妻文庫所収)
  
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生田又助覺書 ・・ 4

2010-02-26 07:32:35 | 歴史
一、十六日昼八ツ時前より被及御大切旨御一家様方其外御心
   安き御方御知せ有之候尤御用番本多伯耆守様江も
   御達有之候事
一、十六日七ツ時迄ニ被成 御逝去候ニ付御用番本多
   伯耆守様江細川采女正様より以御達被成候事
     但為御見舞小笠原右近将監様江者十五日御父子様
     共ニ御出十五日も朝飯後御出松原阿波守様も御出後ニ
     被成御座八時前御帰被成候以後被為御大切候御知
     せ付又々阿波守様右近将監様御出十五日者両度御出
     被成候事
一、上野御預り之処御逝去ニ付松平太膳太夫様江被仰付候
   由十六日夜御沙汰有之候得共此方様へ者御沙汰無之太膳
   太夫様之方御手賦迄ハ主馬(重賢)様より御人数被差出候様ニと之
   御事ニ而翌十七日彼方様江御引渡相済候事
一、御大変之御使者御国許江御使番瀬戸角右衛門十五日
   暮候而被差立候御逝去之御使者村井伎兵衛十七日暁
   被差立候事
一、御家中之面々月額之儀別申間敷候御家人者十五日又
   者御出棺迄ニ御觸有之候事
一、十八日御入棺被成候妙解院に参候事
      但 御法號今日大川座元被差上候事
  隆徳院殿廓殃一義周大居士
一、廿日為 上使重森兵部少輔様御出御香奠銀五拾枚
   御拝領被成候事
 (細川重賢誕生)
一、主馬様御儀御定式之御服忌被成御請候様ニと被
   仰出候依之今日より 殿様と奉唱候様ニと廿日監物
   殿より御沙汰之事
一、御用番御老中本田(ママ・多)伯耆守様より御留守居呼ニ参候都甲
   太兵衛参り候処御一類様之御内御出被成候様ニと之御
   事ニ付山城守(織田信旧)様御出被成候處御出付ニ而被仰渡候
   左之通
      板倉修理儀切腹被 仰付此段細川主馬江可被
      相達候
   右之通之御書付山城守様御持参御出被 仰出候ニ付
   御家中之面々御中小姓以上大書院ニ而監物殿被仰渡候
   其已下江者織衛殿被申渡候事
      但武田叔安老より以去ル廿日御老中様より御内々ニ而被仰
      聞候者修理儀切腹此間ニも被仰付趣之処此節
      傳奏之公家衆御留之御内故被押■延引候右之段極御
      内々ニ而御申達候様ニと堀田相模守様被仰聞候由相
      模守様者去ル十五日之御用御聞懸ニ付右之通之由
一、板倉修理切腹之儀被 仰渡候由之書付御留守居中より見
   せ被申し候間写置候左之通
                     板倉修理
      去ル十五日於殿中細川越中守江手疵為負候乱心と者
      いへとも越中守依相果切腹被仰付者也

      右之趣可申渡旨本多伯耆守殿・水野壱岐守殿・水野
      對馬守殿・橋本阿波守・八木十三郎ニ被仰渡水野監物
      宅ニ相為て切腹之儀右両人立合右之書付對馬守
      申渡之
           但右両人を有の候ハ阿波守殿十三郎御両人之御事
           ニ手監物様御宅江者御三人御出之由
一、廿七日朝五ッ時御出棺ニ而妙解院江御葬送有之候九ッ
   半時分彼方江御着棺暮前ニ参事相済申候右之御供
   相勤候事
     落髪之面々
   竹原清太夫  松野岐五郎  伊藤忠右衛門
   村角太夫  佐田宇兵衛  元田万平
   御葬送前日病死
   鎌田早之允  右田牛之助  小林半右衛門
   右九人願御免之内早之允病死残八人致落髪候事
一、姫様御儀
   静證院様と御法号妙解院大川座元被差上候由
   監物殿より御沙汰廿四日有之候事
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