翁草巻六 當代寄覧抜粋 「越中褌」
細川越中守忠興 後松向庵三齋と號 軍用の利を考て、下帯を割下帯と名付て、中を竪に割て並
べ合せ、前にて結ぶ様に拵らる、是は具足を着たる時、常の下帯は後にて結ぶ故に、不勝手
なり、其利方を以て制せられ、家中不残是を用ふ、然るに後世には左様の譯も知らず、越中褌
とて、簡略の事に成りて卑賤のみ専ら用る事となりぬ
越中褌の発明者は、細川越中とか松平越中とか諸説あるが、此の記述は細川越中に有利な傍証である。
ちなみに元寶荘子の成立は綱吉歿後のことだとされるから、松平越前の線はないと言っていいだろう。
細川越中守忠興 後松向庵三齋と號 軍用の利を考て、下帯を割下帯と名付て、中を竪に割て並
べ合せ、前にて結ぶ様に拵らる、是は具足を着たる時、常の下帯は後にて結ぶ故に、不勝手
なり、其利方を以て制せられ、家中不残是を用ふ、然るに後世には左様の譯も知らず、越中褌
とて、簡略の事に成りて卑賤のみ専ら用る事となりぬ
越中褌の発明者は、細川越中とか松平越中とか諸説あるが、此の記述は細川越中に有利な傍証である。
ちなみに元寶荘子の成立は綱吉歿後のことだとされるから、松平越前の線はないと言っていいだろう。