長袴といえば、江戸城中松ノ廊下で刃傷に及んだ浅野内匠頭を思い出す。壱万石以上の大名に許された正装である。内匠頭の思いは未遂に終わったのだが、この足捌きの厄介な長袴のせいかも知れない。
「風説秘記」に次のような一文があった。
『或云長上下を着てそ短刀を袴の綛斗に可指也自然変
ある時長上下者働の邪魔になる故短刀の鞘をつ(津)きて綛
を切れハ袴ハはらりと落て働よく又様子も甲斐/\敷可有也』
ところがこの綛がよく判らない。「かすり」「かせ」と読むが・・・単なる「紐」の間違いではないかと考えているが、如何? 歩行の厄介な長袴はぬぐのも面倒だから、短刀で袴の紐を切って袴を脱ぎ捨て自由にしようというのだろう。
壱万石以上の大名の長上下(長袴)について、一般の侍達の話としては必要ないことではないかと思っていたが、実は細川藩に於いても長袴着用の規式があったとおもわれる。
嘉永七年の佐田右平の日記、正月朔日の項に「着座以上長袴太刀持参・・」とある。ただ持参しただけとは考えにくいから、「長袴(着用して)太刀持参・・」と考えてよいのではないか。
資料不足でなんともいえないが、ともあれ風説秘記のこの一文は一般の侍には縁遠い話しではある。
「風説秘記」に次のような一文があった。
『或云長上下を着てそ短刀を袴の綛斗に可指也自然変
ある時長上下者働の邪魔になる故短刀の鞘をつ(津)きて綛
を切れハ袴ハはらりと落て働よく又様子も甲斐/\敷可有也』
ところがこの綛がよく判らない。「かすり」「かせ」と読むが・・・単なる「紐」の間違いではないかと考えているが、如何? 歩行の厄介な長袴はぬぐのも面倒だから、短刀で袴の紐を切って袴を脱ぎ捨て自由にしようというのだろう。
壱万石以上の大名の長上下(長袴)について、一般の侍達の話としては必要ないことではないかと思っていたが、実は細川藩に於いても長袴着用の規式があったとおもわれる。
嘉永七年の佐田右平の日記、正月朔日の項に「着座以上長袴太刀持参・・」とある。ただ持参しただけとは考えにくいから、「長袴(着用して)太刀持参・・」と考えてよいのではないか。
資料不足でなんともいえないが、ともあれ風説秘記のこの一文は一般の侍には縁遠い話しではある。