津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

長袴

2010-02-10 09:31:03 | 歴史
 長袴といえば、江戸城中松ノ廊下で刃傷に及んだ浅野内匠頭を思い出す。壱万石以上の大名に許された正装である。内匠頭の思いは未遂に終わったのだが、この足捌きの厄介な長袴のせいかも知れない。

「風説秘記」に次のような一文があった。
          『或云長上下を着てそ短刀を袴の斗に可指也自然変
           ある時長上下者働の邪魔になる故短刀の鞘をつ(津)きて
           を切れハ袴ハはらりと落て働よく又様子も甲斐/\敷可有也』
 ところがこのがよく判らない。「かすり」「かせ」と読むが・・・単なる「紐」の間違いではないかと考えているが、如何? 歩行の厄介な長袴はぬぐのも面倒だから、短刀で袴の紐を切って袴を脱ぎ捨て自由にしようというのだろう。

 壱万石以上の大名の長上下(長袴)について、一般の侍達の話としては必要ないことではないかと思っていたが、実は細川藩に於いても長袴着用の規式があったとおもわれる。
嘉永七年の佐田右平の日記、正月朔日の項に「着座以上長袴太刀持参・・」とある。ただ持参しただけとは考えにくいから、「長袴(着用して)太刀持参・・」と考えてよいのではないか。
資料不足でなんともいえないが、ともあれ風説秘記のこの一文は一般の侍には縁遠い話しではある。
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風説秘話 ・・ 9 (米良左源次)

2010-02-10 07:42:52 | 歴史
一、米良左源次者生質極て勇猛也或時上野の七瀧(ナナタキ)ニ猟人
   猪を追落し中程の瀧坪に打込可取術なくあきれ居たり
   其処に左源次通り合せ我ニ得させハゝ行て取へしと云
   猟人等驚き止めしかと不聞入走に岩角を傳登りしに
   水勢はけしく猪を打めくらす事車のことし左源次
   飛付引上んとせしに其身も共ニ打めぐされ既ニ死ぬへし
   と覚はしかと如何なるとも手ハ放たしと取付居終に
   引上て瀧坪江投落したり 又或時砥用(トモチ)とやらの酒屋ニて
   酒を呑居たるに山伏一人来て左源次を嘲り無礼の言
   なと云たるか御士手相を見て可進とて左源次か手を見

   て其元の御手ニ者剣難筋ありとて嘲笑左源次怒ニ不堪
   拙者も手相を知れり汝か手相見遣候得と云山伏手を
   見遣くれハ汝か手ニこそ剣難の相ありと云山伏嘲渡我
   手ニ豈剣難の相あらんやと云処を是は如何と抜打に
   斬捨たり此山伏烏乱者ニて生前も不知しかハ酒屋の前道
   端に埋メ米良左源次殿御手討之者一人何所之者共不相知
   候間此所ニ埋置者也と札を立置しとそ其後左源次此
   所を通る時者手向の水とて小便を仕懸るとなん

   七滝・御船町  takinoinryoku.com/photo_album/43_kumamoto/43_020.html
   砥用・現美里町  www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/isibasi/isib_tomc.html
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