津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

どうしても判らないこと

2010-02-04 18:28:56 | 徒然
ある文書を読んでいる。M家当主の若い弟が某家の郎党に不届きなる振舞を受け、相手方の主家に談判の末身柄を貰い受けてこれを討ち果す。さてその始末である。
        「死骸ハ帯刀の者の事故七傳筵をかぶせ置(云々)」とある。

 さあ困った「七傳筵」がよく判らない。「七」という文字がどうも「死」を連想させる。それというのは、我が家の先祖附にも不思議な単語が登場しているのだ。四代目殿が亡くなった時、「病気ニ而寸七枚仕候事」とある。

 「七傳」については、いろいろぐぐっていたら「難経」というサイトに出会った。引用させていただくと
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     第五十三難

   ◆五十三難曰.
   經言.
   七傳者死.間藏者生.何謂也.
   然.
   七傳者.傳其所勝也.間藏者.傳其子也.
   何以言之.
   假令心病傳肺.肺傳肝.肝傳脾.脾傳腎.腎傳心.一藏不再傷.故言七傳者死也.
   間藏者.傳其所生也.
   假令心病傳脾.脾傳肺.肺傳腎.腎傳肝.肝傳心.是母子相傳.竟而復始.如環之無端.故言生也.
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どうやら漢方に関する医学書のようだが、「七傳者死(七傳は死)」とある。なんとなく理解できるが詳細が判らない。「七傳」と「筵」は別物だろう。お判りに成る方が居られれば、ご教示いただきたい。

「寸七枚」に至っては100%判らない。ご先祖様はとんだ置き土産を残した。


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赤穂義士切腹

2010-02-04 09:24:42 | 歴史
 旧暦ではあるが今日は、赤穂義士がそれぞれの預け先で切腹して果てた日である。
新暦にすると三月廿日だというから、春風爽やかな日であったのだろう。
残されている絵図からはそんな雰囲気がうかがえる。もっとも昨年熊本県立美術館での、永青文庫の展示会の折りこの絵を拝見、間取図と絵図の不整合をお聞きした。(建築を生業にしている小生にとっては、大変気になって仕方がない事だった)わざわざその場で、東京の永青文庫に電話で問い合わせていただいたのだが、この絵は相当時代が下ってからの、「雰囲気を捉えた想像図」であるとのご返事だった。明快なご返事にいたく恐縮したことを思い出す。
改めて間取図を睨みつけていると、切腹の場へ歩みを進める人たちの様子が目に浮かんでくる。
肥後文献叢書にある「御預人記録」などを読むと、残された家族の其の後の辛い仕置きなどが伺われて胸が痛くなる。内蔵助の辞世の句には、主君の下へ旅立つ喜びさえ見て取れるが、残された家族への思いは如何許りであったろうか。
 
     あら楽し 思ひは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし

 今日の泉岳寺は、終日お線香の煙がたゆたい多くの人で賑うのだろう。  合掌
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幽齋公の肘松

2010-02-04 08:29:16 | 歴史
 中仙道洗場宿に幽齋に係わる「肘松」なる木があったという。現在の松は何代目の孫なのか、
紹介されているサイトを見ると次のようにあった。

【洗馬の肘松日出塩の青木 お江戸屏風の絵にござる」と歌われた赤松の名木。
 幽斎が「肘懸けて しばし憩える松影に たもと涼しく通う河風」と下を流れる奈良井川を合わせて
 詠んだと伝えられる。また将軍秀忠が肘を懸けて休んだとの説もある。
 今は何代目の松だろう、只の小さな1本の松】
                                「平成中山道六十七次膝比べ」から引用
  
又、長崎大学の「幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に貴重な写真があった。
       http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=1585

さてこの歌が何時の頃歌われたのか、突き止めるのは至難の業である。

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