津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

つづいて・・

2010-02-27 13:51:58 | 徒然
「生田又助覺書」をタイピング完了。上妻先生は奥書で、昭和十年五月この弐拾弐枚を三日で筆写されたと記されている。お家流の見事な筆つかいによってである。私は五日ほど費やしてしまったが、改めて上妻先生の凄さに驚いている。後のいろんな研究者はこの覺書を引用されている。生田又助が君側にあって一番つらい立場であったことから、この覺書の記述もその思いが満ち溢れているように感じられる。若干18歳の若者の仕事であるが、現代人はなしえるであろうか。

 時代が逆になってしまったが、次は光尚亡き後の遺領相続に関する秘書をご紹介しようと思う。これは後の大奉行堀平太左衛門が密かに書き残したものだとされる。特に後段の宇土支藩の重役謀殺事件は、当時藩内では秘匿されていたようで、光尚の跡式決定までの紆余曲折振りが伺えて興味深い。細川家の安泰は、このような犠牲者があってのことであった。

 古文書がもたらす真実は、研究者の論文や小説家の巧みな装飾でも窺い知れない、熱い血の流れを感じる。事件の深奥は古文書にのみ存在するように思える。
コメント (2)
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