津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

秀吉英雄伝説の軌跡

2010-02-25 17:22:26 | 書籍・読書
                          秀吉英雄伝説の軌跡
                           著者:津田三郎
                           出版:六興出版

                       (古本・・日本の古本屋にて購入)
         細川家につながる吉田神道の梵舜や萩原兼従の事跡が詳しい。
            細川家菩提寺泰勝寺の裏山に有る、豊国廟の余りにも無残な現状が痛々しい。  
            加藤家没落の一因ともされる豊国廟を理解する上で、興味深い著である。


【内容】
  傷ついた英雄像の変転
  伏見城で歿した豊臣秀吉は、死後、生前の輝きとは余りにも対象的な
  影につつまれた。その生涯を嫌う者、恨みをもつ者、また賛美する者、
  哀惜する者、さまざまな人々が織り出す数奇な運命を浮き彫りにした
  渾身の歴史ドキュメント。

【目次】
 ■謎が解けた豊国神社破却の真相
 ■秀吉に殉じた別当・神龍院梵舜
 ■宮司・萩原兼従のその後の足跡
 ■白紙ぬされた豊国神社再興の沙汰
 ■盗掘されていた秀吉の廟墓
 ■庶民に愛された「太閤記」の秀吉
 ■難航を重ねた明治の再興
 ■豊国会による廟墓の発掘と修築
 ■空前の賑いをみせた豊太閤三百年祭
 ■大阪白天守閣の再建
 ■二度あった豊太閤三百五十念祭
 ■結び

 ・醍醐寺座主義演と豊国明神社
 ・丹波竹田に祀られていた萩原兼従
 ・豊国神社史誌
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生田又助覺書 ・・ 3

2010-02-25 09:34:43 | 歴史
一、五時ニ御登城四ツ半比御帰被成候右五半前より■候處
   隙取申候儀者御相手板倉修理脇差ハ御掾ノ下迄
   両度御吟味有之候得共不相知候ニ付灯燈ニ而床之下
   之隅迄御吟味之所ニ小用所之奥雪隠之内より■■
   を掛入居申候由右之所者 隆徳院様被成御座
   遍之掾ノ下よりハ折曲リ十五間程有之奥は暗ク有之吟味
   ニ隙取候由 小用所迄ハ四五間有之由三度目ニ尋出ス
一、板倉修理被召捕御吟味所ニ口書左之通ニ付口書
   ニ成り候由御城坊主持参御留守居中江見せ候由
        口書        板倉修理
   私小用所江参居候處何者候弥切付候ニ付抜合申候人ニ
   手疵を付候而者不通儀と懐中より鋏を出本取を切小
   用所之奥江隠居申候尤脇差を持居候事も如何ニ存
   其所に持置候其後之儀者覚不申候已上
       八月十五日
   右之通之由懐中ニ六寸程之鋏も有之候右之通故即時
   ニ乱心ニ相極り候由 但袖ニ大栗石壱有之候由
一、隆徳院様江御目附衆参り被見候へとも御惣身血ニ御染
   り被成誰共分り不申候殿方ニ而御座候哉と御尋候得者
   細川越中守と被仰候いか様之儀ニ而ケ様ニ御手疵被負候哉
   と御尋被成候得共小用所之後より切付申候見知不申候男
   上下着居申候由被仰候意趣之御覚者無御座候哉
   と尋申上候得とも少も意趣有方御覚無御座何卒
   組留メ可申存候内深手ニ而心外之儀ニ付各方江も不慮
   之御難題ニ相成申候由善兵衛参り御留守居中江咄申候
   事
       但殿中ニ而始終之被成方少も御臆シ不被成御落着被
       成候御事御すが御代ニ御武功之御家故と奉感
       候由町方迄も唱候由之事  
一、御城坊主宇田川玄覚御留守居中江自分之覚書
   持参左之通り
      御内々申上候覚
   去月十五日
   太守様御事大廣間於小用所数ヶ所御手疵被為受
   候処乱心と御見受被遊御家を御大切ニ思召御相手
   江薄手ニ而も御付不被遊其上御相手之脇差を御打
   落候夫より御相手ハ無腰ニ而小用所之奥江被退
   太守様江者代廣間奥掾之上迄御出御脇差を被為
   持御座着被成候右之御様子御目附衆馳付御見受
   被申御尋被申上候趣有之候処御相手ハ御知候人ニ無之
   候勿論何の御覚も無之由委御返答被遊候右之趣
   彼是無残所被遊方とて松平兵部太輔様殊之外御肝
   心被遊御同席様方江御吹聴有之候由傳中守
   之御沙汰ニ候
      兵部太輔様御肝心被遊候儀者此紙面斗之儀ニ而者
      無之此外ニ御大切之儀有之其趣ハ書面ニ者難申
      上候
   右之趣者私不罷出以前之儀故承及候儀ニ而御見上ケ
   不申候付不申上候乍然此段各様未御聞及も無之哉と
   存尚又助様迄申上候已上
      夘九月           玄覚
        太兵衛様
        傳左衛門様
        郡兵衛様

   右之覚書之内兵部太輔様御肝心之儀口達ニ申候と
   兼而兵部太輔様江者 隆徳院様別而御心安御座
   候処平日 公義を御大切ニ思召候儀不残事ニより
   此節之御落付被成候御被成方国家を御大切ニ思召
   候節御平生之御様子相揃細川家代々武功之御家柄
   故と一入被感入候由御同席様方へ呉々御噂御吹
   挙被成候由玄覚申候事
一、八月十五日御退出龍之口屋式江被為入候而無程織田山城守
                ja.wikipedia.org/wiki/織田信旧
   様御出被成候表御玄関より御通り被成候左候而長岡
   監物殿郡織衛様方江被仰聞候者今日於殿中御不
   慮之儀御老中様方為仰御下城被成前々御出被成候
   御老中様被仰候者御不慮之御儀扨々御笑止ニ思召候
   御相手も有之早速被仰置候間御家中之面々■不
   申様ニ相心得可申候御相手之儀者上より御仕置可被仰付候
   此段御家中も承申候而安堵可申候と委細被仰聞候様
   ニとの御事ニ候委細申上候様ニと両人江被仰聞候事
  御相手之名者不被仰聞候事
      但山城守様より者十五日夜半迄被御座翌日
      茂未明より日々被成御出板倉修理切腹被仰付候日
      迄毎日/\夜ニ入候迄被成御座候廿四日迄御詰其後者
      折々御出被成候尤御家来之内片岡助左衛門・山本八右衛門
      両人ニ而一人完三四夜御様子承り様と被仰付候由
      隆徳院様御葬日迄相詰候事
一、十五日九ッ時分御様躰 御尋為 上使御奏者御番永井
   伊賀守様御出被成此節為御名代織田山城守様御出逢
   被成諸事相済候事
一、同日八ツ時迄又々為 上使御老中様之内堀田相模守様
   御出被成候此節も前々通山城守様御取斗被成相模守様
   上意之趣御書付ニ而御持参被成候左之通

      上意         細川越中守
       手疵弥療治相届快方ニも候哉無 御心元被思召
       候様子聴而承り候様ニとの御事ニ候万一及大切候共
       跡式之儀者去年仮養子ニ被願候弟有之儀ニ
       候間此度願ニ不及候条致安堵養生いたし候様
       ニと被 仰出候

   右之通御口上ニも被仰聞御書付御渡被成り候尤御醫
   師武田叔安老江茂御呼出御様躰委曲御聞被成候事
    但右之趣晩京二■同役中江者監物殿被申聞く候事
   右之通ニ而弥御願ニ不及事ニ而御老中本多伯耆守様
   江御聞合候処弥御願ニ不被及由ニ付其旨候事
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