「風説秘話」で、沖津九郎兵衛のことを書いた。関連して沖(興)津家について書いて置きたい。
沖津家の初代は弥五右衛門・景一で、九郎兵衛はその嫡男で二代目である。嶋原一揆に於いて陣没した。跡継ぎがなく弟・弥五右衛門が三代目と成ったとされる。三代目・弥五右衛門は忠興に殉死し、綿考輯録などでは過大と思えるほどの頁を費やして、その行為を誉めそやしている。森鴎外はこのことを「興津弥五右衛門の遺言」に書いた。
www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/45209_30640.html
鴎外は九郎兵衛のこの事件については知らなかったのではないか、まったく触れられていない。弥五右衛門の殉死は、主命で長崎に出かけた折「名香木」の購入にあたり、意見を異にする僚友・横田清兵衛を殺してまでこれを求め、忠興の意をもって命ながらえた事による。兄弟共に人を殺めた事になる。
九郎兵衛、弥五右衛門の弟・作太夫(三代)の名前もいろいろな文書に登場するが、こちらも後に絶家している。
初代弥五右衛門の継室の連れ子忠太(四男)は、後寺本氏を名乗り別家を起こした。
森鴎外の著作は、弥五右衛門が末弟又次郎(六男)宅にて、嫡子に宛てて書かれた形を取り構成されている。
沖津家の初代は弥五右衛門・景一で、九郎兵衛はその嫡男で二代目である。嶋原一揆に於いて陣没した。跡継ぎがなく弟・弥五右衛門が三代目と成ったとされる。三代目・弥五右衛門は忠興に殉死し、綿考輯録などでは過大と思えるほどの頁を費やして、その行為を誉めそやしている。森鴎外はこのことを「興津弥五右衛門の遺言」に書いた。
www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/45209_30640.html
鴎外は九郎兵衛のこの事件については知らなかったのではないか、まったく触れられていない。弥五右衛門の殉死は、主命で長崎に出かけた折「名香木」の購入にあたり、意見を異にする僚友・横田清兵衛を殺してまでこれを求め、忠興の意をもって命ながらえた事による。兄弟共に人を殺めた事になる。
九郎兵衛、弥五右衛門の弟・作太夫(三代)の名前もいろいろな文書に登場するが、こちらも後に絶家している。
初代弥五右衛門の継室の連れ子忠太(四男)は、後寺本氏を名乗り別家を起こした。
森鴎外の著作は、弥五右衛門が末弟又次郎(六男)宅にて、嫡子に宛てて書かれた形を取り構成されている。