津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

祓川

2010-02-08 09:32:58 | 徒然
 かって住まいしていた本妙寺下の花園地区には、細く蛇行する川筋が残っていた。これがかっての井芹川であったらしい。「祓川」とよばれ、段山(ダニヤマ)から妙解寺(細川家菩提寺)前に蛇行しながら流れていた。現在は全く流路を変えている。本妙寺の西側の島崎地区には高禄の家臣の野屋敷があったらしいが、古地図を見るとこの「祓川」に沿うような形で道がある。本妙寺の参詣もこの道が使われていたのであろう。この川筋の道には杉の木が植えられていたらしく、杉塘(スギドモ)という地名が残っている。妙解寺に近い所、我が家の菩提寺でもある禅定寺の裏側には「鐘ケ淵」という深さが三間ともいう大きな淵があって、水路をつかっての物流の集積地であったのだそうだ。これも昭和28年の大水害の泥捨て場になり、現在では小さな流れが名残を留めている。
新幹線のコンクリート橋脚が目の前に迫り、妙解寺をはじめ連なるお寺に眠られる方々も、ゆっくりとはいかぬご時世となった。過日友人のお宅を訪ねた折、久しぶりに川筋に車を進めたら、もう菜の花が咲き始めていた。私の大好物のセリを摘んだ場所でもある。

     祓川の名残の土手や芹なずな        ひょいと口を突いた傑作(・・?・・)である。
  
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風説秘話 ・・ 6 (酔躰の無礼)

2010-02-08 08:11:43 | 歴史
一、寛政十二年八月十四日尾藤彦太郎 士席浪人 馬上ニ而斬堀を通り
   ■前之事なりしに帯刀之者さゝら杖を持て傍え来ル折節薄
   暗く面躰不分明知人なるやと思中彼者彦太郎が袴の
   裾ニ唾を吐懸たり彦太郎怒て馬より飛下りしか彼者迯
   出すニ付彦太郎追懸しかと馬の口を引て進故遥迯延
   たりし故馬ニ打乗諸鐙ニて追詰しに彼者立帰轡の

   ミづゝきを取て私何を慮外致候哉と云彦太郎馬より下り只今
   の慮外忘れたるかと云しかハ彼者直ニ持たる杖ニて打懸ル
   を腰ニ指たるじつていニて請留私儀物長岡左馬助家来
   ニて御座候間左馬助屋敷江御出可被下と云様子殊之外酔
   躰と見へしかハ直ニ左馬助殿屋敷江連行馬を引し故門番
   を以取次江申入しかハ取次之者出たるに彦太郎段々之子細
   を申彼者酔躰と見受候間明日御取●可申とて慮外
   者江向ひ只今の事定て御覚可有と云に成程覚居候と
   云間又取次に向ひ御聞あらる通に候先今晩者御頭申候と
   云て帰りしに長岡殿より使者を以彼者慮外之儀絶言語
   不届千万の者ニ付是畢竟酔躰より致候事に候間何卒

   差免可被呉候勿論彼者ハ家格之通可申付候とて折入て断
   ニ付其侭ニ済したると也 或云唾を仕懸らるゝを知てハ
   何分其侭二ハ差置難し最初馬をも捨て追詰打果す
   へ■也況(イワンヤ)杖ニて打懸りしとやケ様の節取●せすとも其
   侭打捨へき也手延二して■二て取●すれハ向の主人よりハ
   家来を憐心より容易ニ者不渡事必定也酔躰ニもせよ
   ケ様の無禮を受て断れハ迚可差置理なし是非不斬
   ニ者不済也然共最初唾を吐懸し時等こそ大躰目立ぬ事
   ならハ不知分ニて置事もあらんや
  
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